

日本の歌舞伎よりも長い、600年という伝統を持つ中国の昆劇。2008年5月の北京公演に続き、2009年3月13日、昆劇のメッカである中国・蘇州で、坂東玉三郎が主役として客演した昆劇『牡丹亭』の上演が遂に実現、それはまさに日中の、いやアジアの文化的歴史的大事件となりました。前年の北京での台本に三つの場を付け加えた蘇州での公演は大成功、見事な中国語(蘇州語)のせりふと歌を駆使する玉三郎の迫真の演技に、中国の観客は酔いしれ熱狂的な拍手を送ったのです。
中国の多くの人々にとって衝撃的だったのは、中国の伝統劇である昆劇が、日本の歌舞伎の立女形によって新しい命を得たと感じられたことです。中国人が、日本人である玉三郎によって昆劇を再発見したのです。「梅蘭芳(メイランファン=20世紀前半の京劇の伝説的名優)が昆劇の舞台の上に蘇ったかのようだ。」「玉三郎は、日本だけではなく、もはやアジアの至宝だ。」
公演には中国のメディアが殺到し、翌朝の新聞、テレビは、おびただしい数の賛辞で埋まりました。坂東玉三郎は、北京と蘇州の公演を経て、中国でも一気に大スターとなったのです。
この伝説的公演を、日本の観客のみなさまには、シネマ歌舞伎特別篇『牡丹亭』として臨場感あふれる映像と音響にて、いち早く大スクリーンでご覧いただきます。今回は、蘇州科学技術文化芸術センターでの公演だけでなく、蘇州での玉三郎のすべてもカメラにおさめました。第1部(ドキュメンタリー篇)と第2部(舞台篇)の2部構成でお楽しみいただきます。ご期待下さい!!
『牡丹亭還魂記』は、明代の劇作家・湯顕祖(とうけんそ)(1550~1616)の代表作であり、昆劇を代表する名作です。
南安太守の令嬢・杜麗娘(とれいじょう)は、春のうたたねの夢に柳夢梅(りゅうむばい)という若者と出会います。瞬く間に恋に落ちた二人は、13人の花神たちの祝福の中で結ばれ、歓喜の時を過ごしますが、気がつけばそれらはすべて夢の中での出来事でした。夢の中での恋が忘れられず、柳夢梅への思いは日増しに募り、その思いのあまり杜麗娘は病に罹り、はかなくこの世を去ります。しかし、二人の愛はそれでは終わりませんでした。そのあと信じられない展開が…。
今回は、前年の北京での「遊園、驚夢、堆花、写真、離魂」に、「叫画、幽媾、回生」の三つの場を加え、美と情あふれる玉三郎&昆劇の世界を存分にお楽しみいただきます。
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現地の夕刊紙「揚子晩報」に、中国公演翌日(2009年3月15日)に掲載された記事(日本語訳)をご紹介いたします。
「花園に来なければ、春の景色がこんなにも麗しいものとは知らぬままでした。」
「色とりどりの花がこんなに綺麗に咲いているのに・・・・、楽しむ人は居ない。」
とても素晴らしいこれらの台詞が、中国語を全く解しない日本人の口から発せられるのを目の当たりにして、中国の昆劇ファンたちは感動した。
昨夜と一昨夜、蘇州で上演された中日版の『牡丹亭』は大成功裏に幕を閉じた。坂東玉三郎氏の昆劇に対する真摯で誠実な愛と、魅力的な演技は観る者に感動を与えた。招待され、この素晴らしい公演を見た記者は、日本の「国宝級」の歌舞伎俳優である坂東玉三郎氏に劇場でインタビューした。
『牡丹亭』は昨年3月に京都と北京で30公演が行われたが、昨年と違うところは、今回の公演は中国対外文化交流協会が主催し、在上海日本総領事館が後援しているということである。「北京夢花庭園文化伝媒」と言う会社が製作した今回の公演では、「游園」、「驚夢」、「写真」、そして「離魂」の4場(訳者注:昨年の京都と北京での上演の範囲)だけではなく、更に「叫画」、「幽媾」、「回生」の3場も上演された。また、坂東氏は、新しく学んだ「游園」と「回生」の2場も初めて観客の前で演じた。
(訳者注:昨年の「游園」は、中国の俳優によって演じられた)
公演前坂東玉三郎氏は、昆劇の発祥地・蘇州での今回の公演は、少し緊張する、自分の努力がいい結果に繋がるかどうかが心配だ、と語った。しかし、観客の熱烈な反応で、すぐにこの不安は払拭された。場が終わるごとに、観客席からは割れんばかりの拍手が起こり、劇中の他の役の俳優との会話、本物の昆劇のそれとなんら違いの無い発声、程よいリズムなどで観客を感動させた。特に悲しい場面では、観客は劇中に引き込まれて静まりかえった。幕間には、劇場で昆劇を演じているのは日本人で、しかも地元民である自分達さえもその欠点を見つけることが出来ない、と観客たちは驚嘆しながら確認し合った。坂東氏は、もともと昆劇出身だと思わせるほどの、舞台での歩き方、身振り手振りなどで、観客を非常に感動させた。坂東氏は、特に悲劇を演じるのが得意で、「離魂」は大好きであるという。この場は、幕開きの最初の台詞「人間何物似情濃(世の中に恋心より濃いものがあろうものか)」から、最後の台詞「但願那月落重生灯更紅(願わくば月落ちまた生まれ出で紅の命灯らんことを)」までの全てに深い情を含んでおり、坂東氏が主人公になりきり悲しみに浸る時、観客も同時に、少しずつ杜麗娘(訳者注:とれいじょう 『牡丹亭』の主人公である娘)という役に入り込み、深い悲しみに浸るのである。劇に精通する観客なら坂東玉三郎氏が演ずる杜麗娘役には、まだ少し日本の歌舞伎の身振りが残っていると感じるかも知れないが、実は、歌舞伎の身振りを実に巧みに昆劇の中にとけ込ませているのである。それはとても自然で、相乗効果でさらに素晴らしいものとなっている。また、蘇州昆劇院のスタッフは、今回坂東氏と提携することによって、衣裳や化粧などの細かいところに対する改善がまだまだ必要だということも認識出来た。
繊細な和服、あらたまった礼服、端正な化粧、劇場を訪れた大勢の日本人ファンは、記者の目を引いた。これらのファンはまるで重要な会合に出席するように、坂東玉三郎氏の公演を追ってきた。観客席には、演劇界等で有名な人物が多く見られた。アメリカで最も権威のある劇評論家アレックス氏、オーストラリア総理の首席中国顧問で、有名な中国研究家であるジェレミー・バーメー氏、フランスの東方劇専門家であるドゥ・ヴォース氏、刈間文俊・東京大学教授など……。また、日本のテレビ局であるNHKは制作現場の全過程を記録し、日本最大の通信社共同通信社は記者を特別に追跡させ、国内外の約百社のメディアが現場に足を運んだ。記者は、中国通の刈間文俊氏に話を聞いた。「今まで見てきた京劇と歌舞伎の公演はずっと伝統的な劇だと思い込んでいたため、各公演は一回ずつしか見なかった。しかし、坂東氏の公演でその「偏見」は覆された。『牡丹亭』は4、5回見たが、見る度に新しいものが見えてくる。それを発見してから劇をさらに楽しく見られるようになった。即ち“一期一会”』である。」ドゥ・ヴォース氏(フランスの東方劇専門家)は、自称、坂東氏のファンである。彼は長年歌舞伎の研究をしてきた。「坂東氏の歌舞伎の演技は“偉大”という言葉で形容していいだろう。彼の演じる歌舞伎は、伝統的な化石に現代的な命を吹き込んだものと言える。また、『牡丹亭』は非常によいストーリでありフランスにもたくさんの訳本があるが、今回坂東氏のお陰で私は『牡丹亭』を理解し、彼の演技は唯一無二のものと感じた。」
「私は夜、雨が降ることを心配していました。なぜなら、劇場が街から少し遠いため、年配の方が帰り道歩きにくくなるのではと思ったからです。」と、坂東玉三郎氏は語った。彼はとても優しくて、人付き合いがよさそうで、大変質素な身振りをしているが、芸術家の素質を持っているという印象だった。日本では高い声望と地位があっても、昆劇の話をする時、敬虔さと昆劇への畏敬の気持ちが満ち溢れていると感じた。「(演技を)失敗したら怖くないですか」「とても怖いですが、それは自分の評判が悪くなるのを怖がっているのではなく、むしろ自分が昆劇を裏切るようなことになってしまうことを恐れているのです。」
言葉遣いや落ち着きのある姿から見ると、坂東玉三郎氏は非常に上品な人であることが分かる。彼と付き合ったことのある人は、ステージや普段の生活の中を問わず、非常に真面目で正直な人であると話した。普段、昼間はいつも稽古場で稽古をし、夜は舞台に出演、就寝する30分前に専門医師のマッサージを受け、ほとんど私生活と社会活動はなかった、と、氏は言う。いまだにまだ独身である坂東氏にはいかなる噂もなく、彼は歌舞伎を生涯の「妻」として娶っていると皆が言う。60歳の坂東氏はどう見ても3、40歳にしか見えない。記者が、芝居に無我夢中になったことが若さを保つ秘訣なのではないか、と坂東氏に聞いたところ、彼は笑いながら、「私は一意専心で芝居に身を投じ、特に若さを保つために何かをするわけでもなく、インターネットもほとんど使わず、私生活もあまりなく、スタイルを保つのにあまりいっぱい食べてはいけないが、体力を保つためには食べなくてはならない・・・・・・なので、確かに芝居は私にとっては唯一の'若さを保つ秘訣'といえるのかな?」と語った。
今までずっと歌舞伎の芝居を演じてきたが、急に昆劇に変わって、「(演技を)失敗したら怖くないですか」と聞いてみた。
「とても怖いですが、それは自分の評判が悪くなるのを怖がっているのではなく、むしろ自分の演技が観客に理解してもらえないのではないかということと、自分が昆劇を裏切るようなことになってしまうことを恐れているのです……。」また、「私は努力をしたから、それに対する収穫は必ずかえってくるとそう信じています。日本では、歌舞伎の演技は主に古典的な演技として演じられており、新機軸を打ち出すことはあまりありません。今回昆劇を学び、更に多くの中国に関する芝居の本を読んだことは、今後の歌舞伎の題材や内容を豊かにするのに役に立つでしょう。また、今後のシナリオなどを書くのに多くの霊感が浮かび上がりそうです。」とも坂東氏は話した。 多くのファンは一銭も受け取らずに昆劇を演ずる坂東氏をあまり理解できないが、彼は自分自身でとても満足しているようである。
「中国の音楽は日本の芝居に非常に大きな影響を与えており、私はずっとこの'根'を探し、前から京劇を学び、研究してきましたが、実は京劇と日本の音楽との相違は大きいものと感じていたんです。そんな中、22年前に初めて張継青氏の昆劇を見て大変驚いたんです。それこそが、ずっと今まで探し続けてきた中国の音楽だと初めて気付いたのです。特にその穏やかで美しいメロディーを聞き、まるで当時の貴族が庭園生活をしているように感じ、その中から多くの哲学上の啓発をうけました。」
現地の地方紙「蘇州日報」に、中国公演を前に(2009年3月7日)掲載された記事(日本語訳)をご紹介いたします。
昨夜、蘇州大学で坂東玉三郎講演会が開催された。坂東玉三郎が早めに会場に到着した時、すでに会場は満席の大盛況であった。
「腰をかけさせていただきます。」「このような回答でご満足頂けますか?」丁寧な挨拶や、学生とのインタラクティブな問答の際の優しさなど、全てが、この国際的に著名な芸術家の謙虚で礼儀正しい人柄を反映した。
活気溢れる若者達の集団を前にして質問に答える坂東玉三郎は、時々笑顔を交えて自らの情熱を語り、そのユーモアは学生たちの心を動かした。「蘇州方言は本当に難しかったけれど、幸いにも私は標準語ができないのでかえって楽な面もありました。稽古の時に、標準語だけ話せて蘇州方言が話せない人と時々一緒になりましたが、自分がしゃべれる蘇州方言を彼らに話させてみて、彼らが発音できないことがわかると、とても嬉しかったんです。」こんなおもしろい話のあとで、坂東玉三郎は突然場内の学生達に対して、「字幕を読まなくても昆劇の歌詞が分かりますか?」と聞いた。皆が一様に頭を横に振っているのを見て、彼は喜んで発言した。「それじゃ、私が演じる時に発音が正しくなくても、みんなにはわからないよね!」会場全体が一斉に笑いに包まれた。
昆劇のテクニックを学んだことが、今後の歌舞伎表現において役に立つかどうか聞かれた時の彼の回答は更に面白いものだった。「例えば、牛肉を食べても私の体で直接に牛肉ができないのと同様で、昆劇の習得も一つの栄養吸収の過程であり役には立ちますが、その結果はすぐには反映しないでしょう。」
「昆劇を見たことのある人は手を挙げて下さいますか?」講演中、坂東玉三郎のこの問いに応えて、会場中から手が高く挙がった。それほど多くの若者が昆劇を見たことがあることを知り、彼は特に喜んだ。「私は既に3回も蘇州に来ており、ここは特に住みやすい都市で、人に近代都市の感覚を忘れさせる街です。蘇州で暮らす場合、昆劇は本当に重要なことがらです。」坂東玉三郎によれば、当初自分が見たのは、昆劇の大俳優である張継青により演じられた《牡丹亭》だったが、美しい見栄に非常に驚かされ、特に昆劇の柔らかな音楽が好きだという。「自ら昆劇を演じることなど考えたこともありませんでしたが、今回は蘇州まで公演しに来たことを通じて更なる進歩を期待し、またこの芝居を再び日本に持ち帰って東京で公演することができることを願っています。」
「今は、昆劇が大衆の前で公演される機会はますます少なくなってきていて、もっと多くの人々に昆劇の魅力を感じてもらうべきです。」坂東玉三郎は自分が数年前にドイツでオペラを鑑賞した時の経験を思い出しながら言った。大して有名でもない作品がそれほど大きくもない劇場で演じられるのを知って、彼は、「誰がそんなオペラを聞きに来るのだろう?」と不思議な気持ちを抱きながら劇場に入った。しかし彼が見たのは、様々な観客で満席になった喜ばしい風景で、「年を取った夫婦もいれば、若い男女もおり、更にPunk一族もいる。私は本当に羨ましいのです。」坂東玉三郎は非常に感慨を込めてこう言った。「異なる層の様々なお客様が来場されて芸術を享受することができるのならば、その芸術は見事なものです。」「35年前、東京の国立劇場は専ら学生向けの歌舞伎公演の場で、私はその劇場で数多くの芝居を公演しましたが、今でも私はその劇場で特別講師として学生を相手に歌舞伎を教えています。」坂東玉三郎の言葉には、若い観客の来場への期待感が溢れていた。
成功は、どのように評価されるのであろう?国際的名声を有する大俳優にとって、素晴らしい舞台とはどのようなものなのであろうか?これは、会場の多くの学生が関心を持つテーマであったが、その回答は多分に予想外のものであった。
「これまで自分は成功したと思ったことがなく、私はとても恥ずかしがり屋です。」坂東玉三郎は言う。「自分は成功を獲得するために舞台に上がるのではなく、舞台上の鮮やかな衣裳やイメージが好きなわけでもなく、なぜ舞台に上がるのかと言うと、観客のみなさんの前で演じる時の、自我を忘れる感覚を求めてのことなのです。もし常に自分が出て来るなら駄目です。」それは、彼のような内向的な性格にとってなお更難しいことだろう。「実は私はそんなに自分を理解しておらず、一体自分はどんな人間なのであろうといつも思っていて、人からの褒め言葉を耳にしても本当なのかどうかをいつも疑ってしまいます。」自分をよく理解していないという坂東玉三郎だが、彼は自分に明確な位置づけを与えてはいる。「一人の俳優であり、何らかの大物でも芸術家でもなく、芸術の完璧さの追求には終りがなく、最大の成功は、公演が終わって大きな幕が降りた瞬間、場内の観客の顔に満足の表情が見える時です。」
古典芸術の存続と発展について、坂東玉三郎は、「自分は歌舞伎に長年出演して来まして、古典作品も現代的な作品も演じて来ましたが、如何にして、両者の間における相互影響の良し悪しを明確にするかが非常に重要です。」と言う。「一方では、芸術の基本を堅持するべきですが、他方では、心の扉を開け放つべきです。」彼の話によれば、22年前に、彼は京劇の大役者の梅蘭芳氏の息子である梅葆玖の下で「貴妃酔酒」を学び、これによって歌舞伎作品「玄宗と楊貴妃」を創作することができた。さらにその中から一部の作品を切り取って生まれた作品である「楊貴妃」を、それからの20年間磨き上げてきたと言う。「古典芸術は慎重な態度で時代に対応する必要があって、新しい作品を創作する時に、芸術本来のものを破壊しないことが最も重要です。」これは、昆劇の保護と発展に対する坂東玉三郎の知見とも言えよう。