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俳優名鑑

歴代の名優

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霧立 のぼる(きりたち のぼる)
肖像写真

本名、島田きみ。大正9年1月3日生まれ。

青山学院中退。宝塚音楽歌劇学校卒業後、新興キネマに入社してスターとなる。やがて東宝映画に移籍、戦後は大映に入社したが、間もなく、一座をつくって大阪を中心に活躍したが、伊志井寛の門に入り、昭和30年新派入りをした。

大変な美人女優で、性格がさっぱりしていて、若い女優から「おねえ」と呼ばれて親しまれていた。

舞台写真
昭和31年7月『湯島詣』より

昭和47年3月22日没。
享年55歳。

英 太郎(はなぶさ たろう)初代
肖像写真

本名、上田英太郎。明治18年1月19日、京都に生まれる。

青年時代銀行員だったが、志を立てて秋月桂太郎の門に入り、明治36年大阪朝日座で「金色夜叉」の茶屋娘を演じたのが初舞台である。可憐な娘形として評判を高め、たちまち大阪新派のスターとなった。

後、高田・秋月一派に加わって東上。本郷座で演じた水車小舎の娘が大評判となった。

昭和に入ってからは、花柳章太郎に立女形を譲り、自分は脇に回って幾多の名舞台を残した。近世の新派を代表する名女形の喜多村・河合・花柳についで貴重な人といえよう。

舞台写真
昭和33年9月『明治一代女』より

「遊女夕霧」の円玉女房の、いぶし銀のような演技を見せるかと思えば、「明治一代女」の秀吉では、主役同様の貫禄と華やかさで舞台をぐっとしめるなど、英太郎の名演技は枚挙に暇がない。

昭和47年4月3日没。享年86歳。

森 雅之(もり まさゆき)
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本名、有島行光。明治44年1月13日、東京に生まれる。父は作家の有島武郎。

初舞台は、昭和19年市村座の「シュベイクの冒険」の兵士役。築地小劇場からテアトル・コメディを経て、文学座、東芸、民芸等で新劇俳優としての地位を固め、また映画俳優としても成功していたのに、新派に興味を持ち始め入団した。こうして彼の経歴には一劇団に安住できず、求めるものに従ってさすらいゆく飽くなき芸への探求心がみてとれる。彼の演技はのびやかで品格の高い芸だった。新派にとっては貴重な「さし水」で、これからという時に病を得て没している。

舞台写真
昭和38年3月『松井須磨子』より

昭和48年10月7日没。享年62歳。

市川 翠扇(いちかわ すいせん)
肖像写真

前名、市川紅梅。大正2年12月16日生まれ。父は五世市川新之助。

初舞台は、昭和4年6月の歌舞伎座「戻駕色相肩」の禿で、十五世市村羽左衛門が次郎作、六世尾上菊五郎が与四郎を付き合っている。明治の劇聖九世團十郎の孫娘としての威光であったろう。

昭和6年11月、明治座の「金色夜叉」の序幕かるた会の場に、請われて令嬢役で出たのが新派入りの第一歩であった。

前名の紅梅から三世市川翠扇に改名したのは、昭和32年5月の新橋演舞場であった。その襲名口上に海老蔵(十一世團十郎)も参加した。その時、大幹部に昇進した。

舞台写真
昭和43年3月
『婦系図(めの惣)』より

翠扇は芸カンが鋭く、器用でセリフ覚えの早いことは一座で随一だったという。

当たり役は「皇女和の宮」の侍女夕秀、「風流深川唄」の文字力、「婦系図」の小芳など。

昭和53年9月27日没。享年64歳。

花柳 喜章(はなやぎ よしあき)
肖像写真

本名、青山勝。大正12年1月22日生まれ。父は花柳章太郎である。芸名の喜章は、父の師、喜多村緑郎の「喜」と、父の章太郎の「章」を合わせたもの。

初舞台は、昭和8年11月明治座の「侠艶録」のぼたんである。切れ味鋭い才能がほとばしるということはなかったが、着実な人柄で、演劇に対する情熱に支えられた力強い行動力があった。勉強会「青年の会」なども積極的に指導していた。無器用な俳優だったから、綿密な計算を立てた演技であった。

昭和53年1月2日、新橋演舞場の初日の舞台で倒れ、人事不省のまま翌三日死去した。役者冥利につきる最後だった。

舞台写真
昭和31年12月『婦系図』より

享年54歳。

柳 永二郎(やなぎ えいじろう)

本名、永井武。明治28年9月16日、兵庫県に生まれる。

初舞台は、大正2年11月、旧有楽座で女中役だったという。大正9年3月、明治座の井上正夫一座「生命の冠」「人来鳥」で幹部昇進。昭和14年、新生新派の結成同人となる。10年間で同劇団が解散すると、映画界に転じ、映画・テレビ・舞台に出演していた。昭和48年、新派に復帰。

柳は新派きってのインテリで、新派資料を熱心に収集し新派の年譜を苦労して編纂した。

当たり役は「婦系図」の早瀬主税。昭和53年3月、新橋演舞場の喜多村、花柳追善公演では、82歳で30年ぶりに早瀬主税を演じた。

舞台写真
『日本橋』より

昭和59年4月24日没。享年88歳。

伊井 友三郎(いい ともさぶろう)
肖像写真

本名、伊井義太郎。明治32年3月15日生まれ。

初舞台は、明治43年、市村座に子役として出演。12歳の時、中村東蔵(のち六世大谷友右衛門)につき中村助丸と名乗る。のちに東次郎と改名。20歳の時、師匠改名に伴い大谷友三郎となる。

33歳の時、伊井蓉峰の養子となって新派入りをした。伊井蓉峰の娘婿として、伊井と改名後、新派の二枚目としてなくてはならない俳優となった。養父伊井蓉峰の残光があったとはいえ、喜多村緑郎を相手に「湯島」の早瀬主税、「日本橋」の葛木晋三をやっている。

舞台写真
昭和27年4月『日本橋』より

昭和46年8月13日没。享年72歳。

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