トップ > 作品紹介(花柳十種) > 「歌行燈」

作品紹介

花柳十種

歌行燈歌行燈

泉鏡花の小説を久保田万太郎が映画シナリオとして脚色したが、製作が遅れ、昭和15年7月に明治座で先に舞台化。その後18年に映画化された。

能役者の世界を描いた重厚な演目で、桑名の船津屋の門前には縁の「歌行燈記念碑」が建てられ、万太郎の句“かはをそに火をぬすまれて明易き”が刻まれている。

花柳の役=恩地喜多八

あらすじ

明治の末の霜月、三州桑名の廊内のうどん屋に、「東海道中膝栗毛」の喜多八を名乗る男、連れの捻平(ねじへい)を名乗る男がやってくる。捻平が早く旅籠に落ち着きたいと不機嫌になるので二人は桑名では一番の湊屋という旅籠へ急ぐ。その様子を窺っている一人の門付芸人。門口から惚れ惚れするような声で博多節が聞こえてくる。その芸人はやがてうどん屋へ入ってきておかみを相手に熱燗をあおるが、按摩の笛に怯える様子を見せる。しかしついに按摩を呼び震えながら療治を受け、自分が按摩を恐れる訳を明かし始めた。
芸人は恩地喜多八という、かつては能楽界の鶴と呼ばれた男であった。三年前、伊勢古市に按摩上がりで謡をよくする宗山という男がいて、その不相応な芸名と妾を三人囲うとの噂を聞いた喜多八は若気の正義感に駆られ、客を装って宗山と対面し、その謡に鋭い拍子を入れてその息を散々に挫いたのであった。結果宗山はその日の内に命を絶ち、娘のお袖は売られ、喜多八は叔父であり養父である恩地源三郎から勘当を受け、今の身の上になったのである。
一方、湊屋の喜多八男と捻平の座敷に気まずい雰囲気が流れている。慰みにと呼んだお三重という芸妓が酌もできず、三味線も弾けない。お三重は「舞の真似を少し」と言いだすと『海人』の一節を舞い始めた。その気組、形に驚いた捻平が尋ねると、伊勢山田で門付芸人から七夜で習ったという。教え手は喜多八に相違ない。お三重こそお袖であった。実は喜多八男は恩地源三郎、捻平は鼓の名人辺見雪叟で源三郎の傷心の旅を案じて旅の供をしていたのだった。雪叟はお袖に改めて舞を所望すると名鼓を取り出す。そこへかけつけたのは雪叟の鼓の音を聞きつけた喜多八。源三郎は喜多八にお袖はお前の嫁女だと言い、勘当を許す。喜多八はお袖の手を握り、過去の悪夢を払うかのように祝言の『高砂』のキリを謡い始めるのだった。

花柳十種
「歌行燈」
鶴亀
大つごもり
あじさい
夢の女
鶴八鶴次郎
遊女夕霧
佃の渡し
京舞

このページの先頭へ

Copyright(C)SHOCHIKU Co.,Ltd. All Rights Reserved.