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林英哲さん×山根貞男さんトークイベント(抄録)

1月29日(日)14:00から約30分間、渋谷・ユーロスペースにて、林英哲さんと映画評論家の山根貞男さんのトークイベントが映画上映後に開催されました。

(林)
35年後にこうなりました(笑)。あんなことを、あの時代、一生懸命やっていたんだなぁと。未公開になったとか、客観的に見ることができないのですが、非常に複雑な心情になる映画です。時が経って、その時代を知らない方に見ていただいて、どのように感じられるのか興味があります。また、山根さんにお話も伺いたかったので、今日は来ました。よろしくお願い致します。
(山根)
今日は、皆様がご覧になったばかりで、林英哲さんに来ていただいたので、あの映画をどのように撮ったのか、撮影現場の話をお伺いします。普通に言えば、この「ざ・鬼太鼓座」は劇映画ではなく、ドキュメンタリーですが、どう考えてもドキュメンタリーとは違いますよね。撮影に入る直前、加藤泰監督から、まずシナリオがあると言われてびっくりしましたが、林さんはお読みになりましたか。
(林)
読みました。仲倉重郎さんの脚本で、サハラ砂漠のロケとか、ニューヨークの摩天楼の屋上で太鼓を打つとか、ライオンが周りに出てきてみたいな。こんなに予算がかけられるのかと。びっくりしました。最初の第一稿はものすごかったですよ。
(山根)
林さんたちは、演奏家で、それと全然違う世界ですからね。

(林)
非常に極端な特殊なグループでしたので、僕らは。一兵卒ですから。強力な主宰者であるプロデューサー(田耕氏)がいて、その方の意見に一切質問できない。言われたらそのまま従うというのを徹底していたグループでしたので、映画撮ると言われたら、ああそうですか、こういう設定で、こういう脚本ですと言われたら、ああそうですか、と。そのシーン、そのシーンを一生懸命やるだけで、もしその時に集中していないとものすごく怒られるので、言われるままにやろうと。
(山根)
実際に撮影が始まると、加藤泰監督のもとで撮るわけですよね。
(林)
撮影現場に関しては、口出しするということはなかったですね。というのは、加藤さんを選んだのはプロデューサーで、彼の美意識に、加藤泰監督に撮ってもらうんだ、という思い入れがあったのでね。リスペクトがあったので、現場でそんなにもめるということはなかったですね。
(山根)
では、撮影現場では、林さんたちは、加藤監督の指示通りに演ればいい?
(林)
そうですね。
(山根)
そこで、問題なのは、シナリオがあったうえで、加藤監督はいつものやり方で絵コンテを描いて、このカットは、こういう風にと絵を描いて、キャメラマンをはじめとするスタッフが見て、画面を作る。普通のドキュメンタリーであれば、演奏してくださいと言って、それを撮ればいいんですが・・・。たとえば皆さんが鬼の面をかぶって、剣の舞をするシーン、鬼剣舞という舞ですが、あの場所はどこですか。
(林)
会津の喜多方に古い立派な神社があって、すごく大きな立派な神楽殿が残っていたので、ロケハンして、決まったんだと思います。
(山根)
林さんたちがいつもあそこで、演奏されていたわけではないんですね?
(林)
ないです。あの演奏は、映画のためにやった。舞台では、岩手県の鬼剣舞という郷土芸能をやっていたのですが、映画用にアレンジして、そのための振り付け、映画のフレームに合うようにフォーメーションを組んでいて、舞台でやっていたものや、郷土芸能とはかなり違います。
(山根)
では、あれは映画でしか見られない。
(林)
はい。映画だけの設定です。岩場は会津磐梯山の山頂ですが、足元が映らないのでわからないかと思いますが、本当の岩場の上で踊らされていたのですが、キャメラに映らないのであれば、下に板でも敷いて、平にしてもらえればもう少し踊りやすかった。本当にごつごつの岩の上で踊らないといけなかったので、現場は本当に大変でした。有名な俳優さんであれば、スタッフのみなさんがすぐ何とかしてくれるとか、あるんでしょうけれど、我々は、一切そういうことは言えないですから。
(山根)
鬼剣舞のシーンでいうと、皆さんがかなり長い間踊りますね。それを、映画の画面で見ると、カットを割って、こっちから撮ったり、あっちから撮ったり、いくつもいくつもある。あれは映画の撮り方として、手持ちのキャメラで一気に撮らずに、1カット、1カット、バラバラに撮るわけだから、何回も演るわけですよね。
(林)
音を先に録っておいて、現場でプレイバックしながら踊っています。その場で演奏している訳ではないので、そんなに難しくはなかったのですが、一番大変なのは、三味線とか太鼓の演奏シーンで、あれはいちいちそのカットごとに生録音なんです。全部その場の音なんです。それを繋ぐときに、前のカットと次のカットで、同じ曲の中でテンポが違ったり、音が違ったりするわけにいかないですから、スムーズに繋げないといけない。監督は最初に「全部、これは生録音で行きます、私はね、音楽はわかりません。この映画はね、諸君の気迫が肝心だから。ワンカットずつ、全部生録音でいきます」と。
(山根)
撮影現場ではシンクロといって、同時録音、つまりアフレコのようにセリフを後にあてないやり方ですね。そうすると、最後のほうの路上で太鼓をたたくシーン、屋台囃子は?
(林)
新潟の古町という繁華街ですね。
(山根)
あれは、シンクロ、同録でしょ。かなり長い間演奏していて、特に、林さんが太鼓をたたいて、時間によって、表情が変わっていくんですよね。
(林)
そうですよね。それは、最初から考えました。クライマックスのシーンをこれから撮ります、ヨーイ、ハイって言われても、そこだけ汗をかいていないわけにいかないんです。結局、最初から全部やって、そのクライマックスのところを編集で使えるように、汗をかいて、顔を真っ赤にして、「あっ」となっていたり、それを演じないといけないので、毎回毎回、ほぼ全部やるわけですよ。何度も何度も。
(山根)
細かくカットが割ってありますよ。
(林)
特に後半のショットになると、我々の舞台の見せ場では、昂揚してきて、筋肉もどんどん出てきて、色も赤くなる。そこを狙ってもらうには、全部、最初からやらなければいけない。で、そのことが、すごく大変だというのが、わかってくれる人が誰もいなかった。音楽の繋がりに関しても、三味線なんかアドリブですから、後で編集してブチブチのどうにもならない曲になるってことは、わかりそうなものなのに、そのことがわかる人が、現場に誰もいない(笑)
(山根)
加藤泰監督は、わからなかったのですか。
(林)
「私は、音楽はわかりません。諸君が良いようにやってくれ」って(笑)。
(山根)
それ、監督が言っちゃうところがすごいですね。
(林)
監督がおっしゃるには、「英哲たちは毎日練習しているのだから、何べん撮っても同じことができるんだろう」。同じ曲を普通のバンドでもそうですが、何べんもやっているからといって、やるたびに、違うわけですから。それを、何回やっても繋がるものだと全員思っていて、何の疑問も感じない、だから演るほうは大変だった。
(山根)
明らかに加藤監督は、ドキュメンタリーにもかかわらず、劇映画のように撮ってるんですよね。シナリオがあって、絵コンテがあってというのもね。カットを割るというのもね。そうすると、リハーサルもあるわけですよね。太鼓をたたくシーンのリハーサルは何をやるのですか。
(林)
太鼓をやってみせる。リハでやって、もう一回やらされる。
(山根)
リハの時にいつもやってるようにやりますよね。それを見て、聞いて、これで、やります、ということですか。
ただ、結局、繰り返すってわかってますから、後から10回くらいやらないといけないってわかっているわけですから、リハーサルから猛ダッシュはできないですね。キャメラから見てどう映るかっていうリハーサルですから。何回もやる中で、力の入れ具合というのは、まあ、本番で一番入れるのですが、映画って切ないもので、一生懸命やって良い演奏だったと思っていても、「あ、さっき、ここに照明の影出ちゃった。もう1回行こうか!」みたいな、あー、さっきの良かったのにって。オリンピックの100メートル走と同じで、今の良かったけど、ちょっと画面がアレだから、もう1回と言われても、さっきの記録はでないですよね。やっと10秒切れたのに、もう1回って言われても、10秒切れないですよね。そういう感じのことを、誰もわかってくれなかった。英哲たちは、毎日やっているのでから、何度やってもできるだろうと。
(山根)
農家のような場所で、林さんが津軽三味線を弾く長い場面は、近所の皆さんが見ている中で、2階から撮っていたりしていますが。
(林)
あのシーンも生演奏なんです。その都度全部、本当に弾いているんです。ロングショット、ヨリ、顔だけのアップ、全部です。本当に弾いているんです。
(山根)
太鼓も大変ですが、あんなスピードで三味線を弾くっていうのは、ものすごいことだと思いますね。
(林)
山根さんにはそう、おっしゃっていただいていますが、あのとき、それが大変だと思っている人は誰もいない。大変なのは、ボクだけだった(笑)。30年ぶりに映画を見て、あのころ下手だったなぁ三味線、と思うわけですが、一生懸命やっていたんですけどね。で、結局、どこでカット繋いでもらっても良いように、テンポだけは常に同じにして。同じ繰りかえしの手をすごくやっています。舞台の演奏とは全く違う演奏です。どこで繋がれても次のカットに繋がるようにと。「セット変えます、キャメラ位置変えます」となると、30分、1時間後とかになるわけです。その間にテンポもフレーズも忘れないように、キャメラに映らないように、小さなカセットレコーダーで録っておいて、ずーっと聞いてました。いちいち、録音の西崎(英雄)さんにさっきの音をプレイバックをお願いしなくてもよいように、「さっきの続きいきます」って言われたら、タンタンタンタン弾いて、そこを繋いでもらえれば、繋がるというふうに、全部自分でやっていました。でも、そのことに誰も気がつかない。映画を撮り終わった後も、「生録音ですごいねー」とは言われましたけれど、どういう風にやっていたかというのを疑問に思われる方はいなくて。それで35年後の、去年ですね。公開するというので、松竹の方が来られて、「林さんの三味線の音は、どう考えても、ワンカットワンカット、生演奏しているようにしか見えないのに、音が繋がっているのは、あれ、どういう技法を使ったのか」って。あれは本当に大変だった。「いや、不思議だなと思って。他のところは、明らかにカットが変わって、音がちょっと変わるから、ここで繋いだっていうのはわかる。ただ、林さんの三味線のところは、ずーっと繋がっているから、相当特殊な、技術を使ったんですか?」って聞かれて、いや、全部、自分で弾いて、全部自分で聴きながら、繋がるように、繋がるようにって(笑)。

(山根)
今のお話を聞いていると、まあ、それが映画作りなんですけれど。そもそも、林さんが普段活動なさっているときは、1曲を通して演奏しますよね。コンサートでは途中で休みませんよね。ところが、撮影の場合は、10分の曲なら、半日から一日かけて撮るわけじゃないですか、ぶつぶつになるわけじゃないですか。その時の演奏者の気持ちは、どんな感じなんでしょう。
(林)
後々、ドラマに出させていただいてわかったんですが、役者さんが如何に大変かということです。たとえば、前の日に「お前を殺すぞ!」なんてシーンを撮っておいて、この日の撮影が終わって、明日の朝8時から続きやりますっていったら、それが、なんか顔が違うよねっていうわけにはいかない。同じ表情、同じ仕草、同じテンションでやらなければならない。あれに、近いですね。
(山根)
そういうことをやられたわけですよね。
(林)
はい、学習しました。1時間、2時間前に終わった演奏の続きを、あの感じを再現しなければいけないと、はっきり自覚して僕はやっていました。あれ以降、映画を見るのが、ものすごく嫌になりました(笑)。つまり、画面の外を想像するわけですよ。要するに、映画の撮り方は、とても手間がかかる。その人の表情がうまく出るように、ライティングをいちいち変えて。自然に撮って、美男美女には撮れないですから、ちょっと動いただけでも影が出たりすると、照明やり直すとか。で、役者はその間、じっーと、さっきの芝居の気持ちで待っていないと。「はい、さっきの続き行きます。やってください」って言われたときに、気持ちをキープしておかないといけないから、とても大変です。
この映画を撮り終わって、役者さんの心理とか、フレームの外でスタッフがどう動いているとか、ものすごく想像できるので、全然、映画に集中できない。
僕、映画好きなんですけど、しばらく、映画見るの嫌でしたね。
(山根)
もうひとつ、大切なことをお聞きしたいのですが、林さんが巨大な大太鼓をガンガン打つシーンがありますよね。加藤泰って監督は、ローアングルが好きなんですね、キャメラを低い位置に構えて。あの場面は、台に乗っかっているのですか。
(林)
アクリルのトレーの上にのせられて、あんなに下から撮るとは、知らなかったですけど、
(山根)
あれは、透明のアクリル?
(林)
はい。透明のアクリルです。大船の撮影所で。
(山根)
それ越しに撮っているんですね。だから、足の裏も映っているんですね。
(林)
しかも、あんなに長まわしにするとは思わなかったので、最後までアレでしたからね。
(山根)
この映画は、このユーロスペースで20年前くらいに加藤泰作品の特集があったときに、1回だけ上映されているんです。皆さんが感動して、後で色々な話をしているときに、「あのシーンはすごい」と、加藤泰っていう監督は変な人だねって、必ず話題に出てくるのですが(笑)
(林)
あのシーンは、岩のところがせり上がってくるんですね。あれを撮るために、大船の撮影所に穴が開いたんです。地面を掘っちゃったんですよ。そこにフォークリフトを一台沈めて、中華料理の回転台みたいな、特殊な装置を作って、その上に僕が乗ってるんです。で、フォークリフトを上げながら、回転台を人力でスタッフが見えないように回す。それで、回りながら、岩場から出てくる。火山の噴火口から、何かこう、神々しいものが出てくるという撮影でした。朝行ったら、穴が開いているので、びっくりして。
(山根)
撮影所の、しかもステージにですからね。キャメラを入れるだけでも、とても巨大でなければいけないのですが、キャメラマンの丸山恵司さんが、巨漢ですよね。
(林)
丸山さんってね。何か、相撲取りの役でエキストラで何かの映画に出られたりという方ですから。
(山根)
加藤監督の「人生劇場」だったかな。
(林)
で、キャメラだけではなく、キャメラマンも入る穴をあけなければいけないというね。加藤監督は全然、臆せずにね。で、お七を撮っているシーン。あれでも、道路に穴開けて、丸山さんとキャメラを入れて撮っていました。いちいち、道路に穴が開いた。
(山根)
加藤組のロケには、スコップとピッケルを必ず持っていくものだ、と言われていました。
(林)
低予算で撮らなければいけないというので、そういう作業は全部我々も手伝いました。キャメラが映っていないときは、メンバーみんな、そういうことですよ。雪のシーンなんかも、あの年は雪が少なかったので、一般の農家の屋根とか、木の枝の上に全部綿をのせて、上から塩をまく。道端とかにも雪が残っている感じにするためにまく。それ、全部我々が塩をふって。
(山根)
それ、ドキュメンタリーとは違いますね。
(林)
はい。大劇映画でしたね。
(山根)
「ざ・鬼太鼓座」は前々からとんでもない映画だと思っていましたが、今、お話を聞いていると、あらためて、いろんな側面で語れる映画なんだと。
(林)
そうですね。おもしろいことに、うちの弟子の若いのが初めて見て、当時のことを知らないので、フェリーニみたいな映画と。
(山根)
すごいじゃないですか。
(林)
ストーリーがないから、しかも鬼太鼓座というのが何かほとんどわからないで、ご覧になる人が多いから、これいったいなんだったのか、実験映画のようでもあるが、ずいぶん手間隙かかって、セットもあれだけきっちり作ってあって、大掛かりな撮影しているから、フェリーニなんかもストーリーなく、撮っていたっていう話もありますよね。だから、若者がフェリーニみたいだって言ったのは、ちょっとポイント高いなと。
(山根)
まして、30何年も前の、封印されていた映画が蘇ってきたのですから、全く若い世代がそのように観てもらっていいんではないですか。
(林)
映画というものがね、やはり、加藤泰監督の力というのもありますし、これだけ映像が氾濫した世の中になっても、やっぱり強いというか。
(山根)
もっといろいろお聞きしたいのですが、フランスに演奏に出かけられる直前なので、この辺で。おしまいに一言お願い致します。
(林)
鬼太鼓座という不思議なグループがありまして、主宰者のプロデューサーの方がいて、その方の熱意でこういうずいぶんお金のかかった映画ですが、色々ございまして。僕は今でも、あまり心穏やかに振り返ることはできない映画なのですが、太鼓で世界に挑むということをした男の夢と、それに従うだけの兵隊だった我々と、そこに加藤監督が映画作家的な思いをぶつけて、一瞬だけ三者が交わった夢のようなといいますかね。輝かしい夢というのとは違いますが、違う意味での夢のような一瞬の煌めきみたいなものが、ここに作品として定着しているのだと思います。たくさんの人に見てくださいと言いたい部分もあるし、なにかあまり、また再び、その当時のネガティブなことに巻き込まれる恐怖心みたいなものもあるので、たくさんの人に見てくださいと言いにくいところもあるのですが、作品としてはこうやって残って30何年ぶりという得難い機会に、まさかこれがリバイバルの公開になったり、ヴェネチア映画祭に招待されたりって思わなかったのですが、こういうことになりましたので、皆さんそれぞれのお気持ちでご覧になっていただければと思います。
(山根)
どうもありがとうございました。