『船場の子守唄』二代目渋谷天外、藤山寛美

『婦系図』水谷八重子、波乃久里子、春本由香

『おやじの女』藤山寛美、滝見すが子、酒井光子

『葛西橋』二代目喜多村緑郎、河合雪之丞

第1回新派・新喜劇コラム

 大正時代生まれだった祖父は、夕餉の膳に向かうと、いつも決まって「上等、上等」と言っていた。食事の支度をするのは祖母の役で、なにも特別なものを作るわけじゃない。たいていは、昼御飯の余りだとか、コロッケだとか、貰い物の蒲鉾だとか、そんなものを皿に取り分けて夕飯のおかずにするわけだが、祖父はなにが出ても 「上等、上等」と言う。その声音を懐かしく思い出す。 祖父はべつに質素を旨としていた人ではない。それよりも、日常の食事に関して男が選り好みをすべきではなく、なんでも上等と受け取って食べればよいのさ、というポリシーを持っていたのだと思う。古風に言えば、戦前の東京の商家に生まれた人の気風だった。そして、そういう人は、私たちの周囲にもう見当たらない。 ――そういうことを、新派や新喜劇の舞台を観て、ふっと思い出す。なにもこれと同じような場面があったということではない。けれども、新派や新喜劇のなかに生きる人々は、ひと昔前、ふた昔前のわたしたちが身につけていた態度や生活の知恵、身のこなしをさまざまな形で保存して、観客にみせてくれる。 新派の『葛西橋』という芝居で、これは昭和三六年(1961年)の初演だと言うから、ざっと半世紀前に書かれたものだが、たとえば、そこに描かれている昭和初期の遊女は、葛西に借りた貸間にやってきて、家主の前では堅気らしく挨拶し、相手が去るとほっとしてゆっくりと煙草を飲む。そして、掃除をしようとして箒がないので階下に借りに行く。

 そういうひとつひとつのスケッチが、その時代を知らない私にとっても懐かしく、心地よい。そして、いくらかの反省をこちらに与えてくれる。考えてみれば、いま、ほっとして煙草を吸うのに、スマホをいじらない女子がいるだろうか?『葛西橋』の女は、ただぼうっとして煙草をくゆらせ、遠くには荒川を行く小型蒸気船の音が聞こえる。その閑散の贅沢。

 新派や新喜劇は、その成立にまでさかのぼれば、当時の旧劇(歌舞伎)や旧式の喜劇(俄芝居)にたいする新進の演劇としての主張があった。しかし、それから相当の年月がたち、いまではむしろ旧時代の保存という側面をジャンルとして担っている。 それでいいと思う。 私は雑然とした日常生活から降りたいときに、新派や新喜劇の芝居に足を運ぶ。舞台は大きな水槽のようで、そのゆったりとした時間の流れに身をひたすのは、都会の楽しみのひとつだと思っている。

文・和田尚久(わだなおひさ)

放送作家・文筆家。東京生まれ。 著書に『芸と噺と 落語を考えるヒント』(扶桑社)、『落語の聴き方 楽しみ方』(筑摩書房)など(松本尚久名義で上梓)担当番組は『立川談志の最後のラジオ』、 『歌舞伎座の快人』、『青山二丁目劇場』(以上、文化放送)、『友近の東京八景』、『釣堀にて』(以上、NHKラジオ第1)ほか。