《運命の力》みどころレポート

2024年4月11日 木曜日

演出、指揮、歌手、全てが揃った完璧な公演〜《運命の力》見どころレポート

 

音楽評論家 加藤浩子

 

 「音楽は素晴らしいが、物語が複雑」。ヴェルディの《運命の力》は、そう言われることが多いオペラだ。有名な〈序曲〉や、ソプラノのアリア〈神よ平和を与えたまえ〉をはじめ、音楽はとても充実しているのに、「物語が入り組み、現実離れしている」(ME T総裁のピーター・ゲルブ氏の言葉。以下同)と受け止められがち。主筋は18世紀スペインを舞台にした仇討ちの物語なのだが、21世紀の今ではさすがに古臭い。加えて、パワフルな歌手が最低3人、できれば5人は必要だ。ME Tでは実に30年ぶりの新制作、ライブビューイング初登場というのはそのような理由あってのことだろう。

 だが今回の《運命の力》は完璧だった。強力な歌手陣、音楽監督ネゼ=セガンの、劇的でありながら柔軟で、「歌」と色彩に溢れた音楽、そしてポーランドの演出家トレリンスキの演出によって、アナクロな物語がリアルに感じられたのだ。今回、現地で、それもライブビューイング収録日に観劇することができたが、観客の反応も熱狂的だった。

 トレリンスキは時代を現代に設定。レオノーラの父カラトラーヴァ侯爵は独裁者的な将軍で、娘を抑圧している。レオノーラは恋人のアルヴァーロと駆け落ちしようとするが、父に見つかってしまう。アルヴァーロは抵抗しないことを示すために銃を投げ出すが、それが暴発し、侯爵は娘を呪って絶命。物語はこの偶然の死がもたらす因果を描くが、今回の演出では侯爵の死をきっかけに戦争も勃発する。恋人たちは離れ離れになり、運命に翻弄される。止まらない運命の流れを、トレリンスキは回転舞台によって表現した。回転する舞台上で繰り広げられるドラマは細かく脚色され、観客をストーリーに巻き込む。本作は場面の間に時間が経過して状況が変わるなど唐突なところがあるのだが、映画監督でもあるトレリンスキは場面の繋ぎに映像を効果的に取り入れ、物語の展開がスムーズに理解できるようになっていた。

 筆者があっと思ったのは、逃亡に疲れたレオノーラが世を捨てると決めた時、彼女を匿う決断をする修道院長を、父の侯爵と同じ歌手(ソロモン・ハワード)が演じていたことだ。このような演出は初めて見たが、レオノーラは父の呪縛から逃れられないのだ、と腑に落ちた。ヴェルディのオペラには「父と娘」の宿命的な関係が必ずといっていいほど登場するが、それをこれほど鮮やかに見せてくれた演出に出会ったことがない。さらに侯爵の亡霊が物語の転換点で登場し、彼の呪いが生きていることを暗示する。

 恋人たちは互いが死んだと信じ、アルヴァーロは戦争に身を投じ、レオノーラは世を捨てる。だが、愛が消えることはなかった。世の終わりのような情景が展開する幕切れで、恋人たちは奇跡的に再会する。その時、筆者は《運命の力》のラストシーンで生まれて初めて涙した。なぜなら、戦争のような悲惨な出来事の中でこそ、純愛や信仰(レオノーラは極めて信心深い)の尊さがひときわ身に染みたからだ。「ストーリーを今の人に伝えるため」(同)トレリンスキを起用したMETのアイデアは大成功だったと言っていい。

 歌手たちも傑出。コロナ後のMETはライジングスターを積極的に登用しているが、今回それが見事に功を奏した。主役3人は皆30代から40代初めと若く、力強さに加えてよくコントロールされて品格のある声の持ち主で、理想的なヴェルディ歌手だと言えるのではないだろうか。

レオノーラ役のリーゼ・ダーヴィドセンはワーグナーやシュトラウスのオペラで有名だが、今回は別の面を見せてくれた。声は強いと同時に繊細で、光り輝く絹糸のよう。今回の発見は役柄への共感力で、だからこそダーヴィドセンの声は心に響くのだと納得した。信心深く純粋なレオノーラを歌う彼女は、イタリアの絵画に描かれる輝かしい天使のよう。「数世代をまたいで最高のドラマティック・ソプラノ」だとゲルブ総裁が激賞するのももっともだ。

 アルヴァーロ役のブライアン・ジェイドは、輝かしい声に明るい響き、言葉の美しさ、バリトン出身の広い音域で、至難の役柄を安定度抜群で歌いこなし、ドン・カルロ役のイーゴル・ゴルヴァテンコは深く豊かな美声に加えて息長いフレージング、美しいレガート、劇的な場面での爆発力に息を飲まされる逸材。今後のオペラ界を担うヴェルディ・バリトンになるのは間違いない。第3幕のアリア〈我が運命を決める箱〉は、聴き手を引き込んで離さない圧倒的な歌唱だった。

そしてM E Tの合唱の素晴らしさといったら!「すべてのオペラの中で最も美しい音楽がある」(合唱指揮者のドナルド・パルンボ)多彩な合唱を、荒削りな軍人の歌から修道士たちの敬虔な祈りまで、ドラマの一部になって歌いこなした。ここには大河ドラマとしての《運命の力》の魅力が凝縮されている。

天才的な演出と上り坂のキャストで、伝統芸術から「現代」の鏡像へと変貌した《運命の力》。「オペラ」に興味を持つあらゆる方に見ていただきたい、稀代の名舞台である。

 

 

 

 

 

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