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俳優名鑑

波乃 久里子(なみの くりこ)

こぼれ話

当時の新派は、錚々たる名優たちが揃っていました。花柳章太郎、水谷八重子、大矢市次郎、伊志井寛、市川翠扇、英太郎、京塚昌子、桜緋沙子、霧立のぼる(敬称略)。新派は総勢140名ぐらいいたでしょうか。

約束通り、一ヵ月間、私は花柳章太郎の弟子として、先生からいろいろと教えていただきましたけど、私は水谷八重子の弟子になるために新派に入ったんだという気持ちが強いので、あんまり花柳先生の方を見ていませんでした。本当に罰当たりの娘でしたね。でも、私に対して、花柳先生はとても一生懸命教えてくれました。

ただ、私がその一ヵ月の間で困ったことがふたつありました。ひとつは、それまで歌舞伎で学んだ演技と、新派の演技の解釈が違うことでした。もともと新派というのは、歌舞伎、つまり旧派に対して新派というわけですから、演技に対する解釈も歌舞伎とはまったく違うわけです。

たとえば『婦系図』の「妙子」で、「めの惣」を訪ねるところを例にとると、歌舞伎の場合には、合方の三味線の節に乗って、娘らしく、まるで踊りのように、袖を振ったり、首をかしげたりしながら、その家の前まで来るというのが普通です。ところがお稽古で私がそれをやって、花柳先生に大変に叱られたことがあります。「何やってるんだ。妙子は上流のお嬢さんだぞ。そんな踊りのようなものを習っていない境遇なんだ。習いごとといえば、茶の湯か琴だ」って。

(どうして踊りがいけないの?)

心のなかでそう反発しながらも、もう一度、花柳先生の言われた通り、やったんです。良家のお嬢さんらしく、背筋を伸ばして、シナを作らず、おっとりおっとり歩きました。路地の家々の表札を眺めながら、訪ねる家を見つけると、フーッとひと息入れて、にっこり微笑んで「ごめんなさい」。
ね、違うでしょ?

新派と歌舞伎の演技の差、これが困ったことのひとつだったのです。しかし、新派に入った以上、文句を言ってたって始まりません。花柳先生に教わった通り、演らなければいけないんですから。 それとは別にもうひとつ、とても困ったことが起こるんです。

疑問と戸惑いを感じながらお稽古をしていると、稽古場に父がやってくるんです。やってくるだけではなく、それも大きな声出して、「おーい、久里子、お弁当持ってきましたよ~!」って。もちろん、稽古をしている皆さんの分まで届けてくれるんですが、私はそっとしておいてほしいのです。その上、また父の声が聞こえてくるんです。「どうです、うちのお姉ちゃん、いいでしょう」そうすると花柳先生もしかたなく、さっきまで怒鳴っていたのを忘れたかのように、「ほんと、いいね」なんて言ってくださる。

段取りの打ち合わせなんか舞台の上でやってると、舞台に向かって客席から、「お姉ちゃん、いいねえ。きれいだよ」なんて、父の大きな声が……。もう恥ずかしくて、恥ずかしくて。花柳先生もさすがに困ったのか、客席の父に向かって小さな声で、「少し静かにしてくれないかなぁ、勘三郎さんなんて。まったく、父の親馬鹿にも困ったものです。

私が新橋演舞場に出演している時、父は、自分の歌舞伎座での出がちょっとでも空いていると、すぐに駆けつけてくるのです。楽屋には訪ねてくるわ、新派の人たちをお茶屋さんに招待するわ、豪華な差し入れは待ってくるわで、もう大変でした。

そして、そのたびに、「どうです?いいでしょう、うちのお姉ちゃん……」ですから。中村勘三郎に言われて、皆さん、「たいしたことありませんよ」なんて、言えないですからね。え、言ったら?もし本当に思っていることを父に言ったら大変です。すぐに松竹に電詰して、「誰々が私の娘の悪口を言った」なんて言い出しかねない人ですから。

ですから、私も逆に、父には楽しいことしか言えませんでした。ちょっと愚痴などこぼそうものなら、それが大事件になることはわかっていましたから。

こうして一ヵ月が過ぎ、いよいよ水谷八重子先生のお弟子にさせていただくお願いに、川口先生と一緒に明治座の先生の楽屋を訪ねました。

ええ、ものすごく緊張しましたよ。「久里子はここで待ってろ」と言われ、楽屋の次の間でかしこまって待っていると、水谷先生の美しい女神のような声が自然と聞こえてきました。「イヤ!私は。いくら川口先生のお願いでも、それだけは勘弁して。私がお弟子をあまりとらない主義なのは、先生だってご存じでしょ。それに、花柳先生が久里子ちゃんをお弟子にしたいっておっしゃってたんじゃないの?あんなに熱心に教えてらっしゃるじゃありませんか」

私はドキドキしながら聞いてました。「そこをなんとか。本人がどうしても、八重ちゃんのお弟子じゃないと嫌だって言ってるんだから。すげーんだよ。あんたの切り抜きをスクラップしているくらい、あんたにぞっこん惚れているんだから」

川口先生も父から頼まれたんでしょう。なんとか説得しようというお気持ちがよくわかりました。「だって、先生。突然勘三郎さんの娘さんが私のところに来て、いい役がついたら、これまでずっと長い間、苦労してきたほかの子がかわいそうじゃないの。それにまだ高校生でしょ。いまから私のお弟子にならなくたっていいじゃない」「これは中村屋の一生のお願いなんだよ。私からも頼むよ」

新派の芝居をお書きになっている川口先生に頭を下げられたら、いくら水谷先生でも断ることはできません。
「しょうがないわね。じゃ、こうするわ。私は久里子ちゃんを中村屋さんの娘とは考えないことにする。普通の方の娘としてあつかうわよ。それに、まだ高校生でしょ。必ず学校には行くこと。あっ、それからもうひとつ、大事なこと」

私は身を乗り出しました。水谷先生がいったい次に何を言うのか、とても心配だったからです。水谷先生の透き通った声が襖を通して聞こえてきました。「いい、親は一切、口を出さない。これだけは守ってほしいの。それだったら、久里子ちゃんを預かってもいいです」って。

私は心のなかで万歳三唱をしてました。いまで言えば「ヤッターッ」って感じなんでしょうね。もちろん、父がしゃしゃり出てこないことは、私にとっても、願ってもないことでしたから。さすが先生、私が言いたいこと、望んでいたことを言ってくださった。まるで、マリア様のようだって、思いましたね。私は結局、お芝居なんてどうでもよかったんですね。水谷八重子という人のそばにいたいというだけの少女だったんです。まさに、私は水谷先生に恋をしていたんじゃないかと思います。

ああ、神様、ありがとうございました。私は、水谷先生の楽屋の次の間で、ただ感激に震えているだけでした。

波乃久里子著『鯛女(たいじょ)のお姉ちゃん』
第二章「波乃久里子になりました」より
平成8年 ザ・マサダ刊行

波乃久里子プロフィール

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