ベッリーニ《夢遊病の娘》みどころレポート

2025年11月14日 金曜日

ベルカントの超名手が織り成す最上級の歌唱

極まった美しさを支える指揮と演出

オペラ評論家 香原斗志

 

ベッリーニの音楽には舞台であるスイスが感じられるが、演出のロランド・ビリャソンは卓越した方法でそのことを強調した。屋内の場面なのに壁の上部がスイスの山々のように切り立ち、背後に見える雪が積もった山々の風景につながる(同じ壁がその後、別の屋内や屋外も表現するが、終始違和感がない)。観る者は自然にスイスに連れていかれる。そこでいきなりネイディーン・シエラが演じるアミーナの二部形式のアリアが歌われた。

 

もうすぐエルヴィーノと結ばれるアミーナのよろこびを聴き、心が昂った。その昂りに自分自身が驚くほどに。オペラ史上に燦然と名を残す名ソプラノ、ジュディッタ・パスタのために書かれた、心が湧き上がるような旋律を、どの音域でも見事に均質な声で美しく歌い上げて比類ない。

 

比類なさでは、エルヴィーノを歌うシャビエール・アンドゥアーガは負けていない。この役も特筆すべき優美なテノール、ジョヴァンニ・バッティスタ・ルビーニのために書かれたものだが、アンドゥアーガは光沢がある声を極小のピアニッシモや超高音まで完璧に制御し、驚くほど優雅に歌う。筆者は2016年、彼が21歳のころから「世界一のテノールになる」と予言したが、確実にそこに届きつつある。

 

ベッリーニの様式を踏まえ、旋律美を活かしながら小気味よく音楽を推し進めるリッカルド・フリッツァの指揮も、彼らの歌唱美を際立てる。歌唱に頻繁に加えられる弱音もフリッツァの指示と思われる。そして、それに応える技量がある歌手たちのおかげで、ドラマに迫真性が加わる。

 

少し不機嫌になったエルヴィーノとの二重唱も、2人の完璧な歌唱が旋律に真実の感情を吹き込みつつ、極限まで美しさを醸し出す。エルヴィーノの鼻をアミーナが指でちょんと触り、2人がパッと笑顔になるところなど、演出の小さな工夫もあって2人の世界にすっかり誘われる。これらの役の旋律美を十全に表し、2人とも極上のピアニッシモで息を合わせ、一気にフォルテや超高音まで音を運ぶのは、恐ろしく難しい。だが、その困難が達成されると、激しい感動に包まれる。筆者自身、心臓の鼓動が速まるわ、涙が出るわで、時に冷静さを失いつつの鑑賞となった。

 

彼らがただ者ではないのは、歌唱美を保ちながら、あらゆる感情を歌い分けることだ。夢遊病のせいでロドルフォ伯爵の部屋に入ってしまったアミーナを疑うエルヴィーノの怒り、それを受けたアミーナの悲しみ。すべてに極上の美しさが維持されたまま、本物の感情が表出する。また表情や動きも、その感情と視覚的に見事に一致する。

また、2人の歯車が狂い出すと、白い壁に囲まれた空間が閉ざされた村社会に見えてくる。演出のビリャゾンの面目躍如だろう。

 

第2幕も、エルヴィーノが苦悩を独白するアリアから、強い感情が極上の旋律美と並び立つ。リーザ役のシドニー・マンカソーラやロドルフォ伯爵役のアレクサンダー・ヴィノグラドフも様式を外さないすぐれた歌唱だから、主役2人がなおさら映える。そして、透明に表現されたアミーナの狂乱の場の美しすぎる狂気に、また涙を誘われ、誤解が解けたのちのよろこびのカバレッタでは、エルヴィーノがいくら引いた表情をしていても、あまりに鮮やかなよろこびに、こみ上げる感情を抑えられなかった。

 

筆者が好きな《夢遊病の娘》のなかでも、これは究極の公演だと断言する。

 

 

 

 

 

 

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