#07

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渋谷天外

――近頃、松竹新喜劇と新派の俳優さんが合同で出演、あるいはゲストを招いての公演が増えてきましたね。

天外 (松竹)新喜劇の中でやっていると、やっぱりお互いのイキが分かっているから、とてもやりやすい。どう来るかが分かりますからね。
 でも今月(十九年二月「競春名作喜劇公演」)のように、違う劇団の方とやると、違うイキが入ってくるじゃないですか。それはある意味、新鮮なことで、とても勉強になりますね。過去にやった演目でも、あ、こういうやり方もあるんだ、ああいうやり方もあるんだというふうに。
 新派の若い方たちとも一緒に、あれはこうじゃないか、ああじゃないかと、そんな交流もはじまっています。

――戦後、「新しい時代の喜劇」を目指して「松竹新喜劇」が結成されました。それから約七十年が経過し、劇団の役割は変化したでしょうか?

天外 (父)二代目渋谷天外というのはかなりのホン(脚本)を書いていまして、松竹新喜劇の初期二十年近くトップをやっていました。そのころのインタビューを読むと「私は花が咲き、蝶が飛んだと言って笑える世界が来るために喜劇をやっている」と言っている。
 やはりその当時は終戦直後でしたから、みんな食べるのに必死でね。一生懸命働いて、仕事イコール人生という時代ですよね。
つまり、そのころ、世間一般の人にはまだまだ心の余裕がなかった。そういう方たちに、笑いを提供したいと、二代目の言葉はそういう意味だと思います。ひるがえって今現在を見ると、二代目が思い描いた世の中は、もうある意味で実現しているような気もします。
経済状況もまるでちがうし、テレビをひねりゃ笑いがあるし。それで昔の東京の人というのは、あまり生活に「笑い」を持ち込まない、やはり侍の町らしい、二枚目が多かったんですよ。でもいまや東京の人の会話にもどんどん笑いが入ってきて、父が言っていた世の中になっているのじゃないか。ということは、父が標榜していたころの松竹新喜劇の役目は終わっているかもしれない。

『お種と仙太郎』(平成25年)

――「笑い」の提供、という意味では。

天外 そうですね。その一方で、いまは二代目が書いていた普遍的な部分、『おばあちゃんの子守唄』のような、親子の情とか夫婦愛とか金銭の問題とか友情とか、どこの国へ行っても、いつの時代になっても変わらない人間関係とか、摩擦とか、あるいはきずなですね。そういう普遍性をベースにして我々は芝居しているわけなんです。
 それをご覧になったお客様が、「あ、そうか、人間の暮らしってこうだよな」と気付いていただければ。「ああ、あたたかいわ、よかったわ」と、笑いもあって最後にほろっとする、あたたかい涙を流すような芝居が出来れば、と。それがいまの松竹新喜劇の役割かなと思います。

――笑えて、泣けるということですね。

天外 お客様が、笑ったり泣いたり笑ったり泣いたりするでしょう。そうしたら涙腺が思い切り緩んじゃうのね。それからはずっと泣いている(笑)。こういう芝居は今はほかにやっているところが少ないのでね。

――松竹新喜劇には、まげものの演目があり、昭和の時代を背景にした作品が多くあります。では、その次の「現代劇」についてのお考えは?

天外 それは藤山寛美時代から、ずっと課題になっているのですが、寛美先生のころはまだ携帯がなかったんですよ。いまは皆さん一台ずつ携帯持っています。二台持っている人もいてます。それを舞台の上に持ち込んだら、ぼくらの舞台はそれで終わってしまうんですよ。「あ、ちょっと待って、ちょっと電話してくるから」で終わってしまう。

――「君の名は」(菊田一夫)みたいなすれ違いドラマも、携帯のある時代には成立しにくいですよね。

天外 そうそう。このあいだ、ぼくはある人と待ち合わせをしたんですよ。ところが約束の時間になっても、相手の方は来ないで、連絡がつかない。どうも後で聞いたら道に迷ったらしいんだけど、こっちは、あれ? 今日ふられたのかなと。ビール頼んだけど、このあとどうしようかなと思ってたら、二十分たって来た。どうしたのと訊いたら、携帯の電池が切れちゃったと。その短い時間、ものすごく不安になるんですよね。あとから、この場面を描くには、と考えてみると、映画では出来るけど、舞台ではやりにくい。
 だから近頃思うのは、(松竹)新喜劇は「時代劇」でいいのかなと。昭和四十年なら昭和四十年という、半世紀前の背景をきっちり描く。歌舞伎だって、背景は昔だけれども、やっぱり面白いでしょう。それでいて廃れない。そういう芝居を残し続けていくのも、我々の世代、六十歳過ぎている連中の義務だと思っています。

――先代天外さんは、作者としても活躍されましたが、当代の天外さん創作への意欲は?

天外 ぼくもこれまでに何本か書いてやってきたんですけれども、いまのところ新作をあまり出していないのは、ぼくらが書いても面白いものは先に書かれているんです。同じ題材でね。それでやっぱり先人の台本はよく出来ている。はっきり言って、そちらをやったほうが面白い。それでぼくはルネサンス(復興)という言葉を使って、沈んでいる作品をもう一遍引き上げようやという運動をしたんです。そこから、再び光のあたる作品が何本か出てきました。
 そういう作品をやってみるとね、ストーリーそのものは古くても、芝居は新しいんですよ。その時代、その時代を生きている役者がそれに息を吹き込めば。

『はるかなり道頓堀』(平成28年)

つづく

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