街の世界

松竹と街のつながり

ニューヨークのブロードウェイ、ロンドンのイーストエンドといえば、有名な劇場街です。 かつて日本にも、“芝居町”と呼ばれる劇場街がありました。江戸府内には常設の芝居小屋が1624(寛永1)年に出来、1670年代までには中村座、市村座、森田座、山村座が「江戸四座」と呼ばれ、この4座に限って櫓をあげることが認められるようになりました。上方では、浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座と呼ばれる「道頓堀五座」があり、川側の通りには芝居茶屋が立ち並んでいました。江戸時代から庶民に愛されたエンタテインメントとして芝居が身近な存在となっており、親しまれたのです。 松竹の創業者である白井松次郎、大谷竹次郎兄弟は、両親が京都の祇園座の売店で商売をしていたのをみて、子どもごころに「劇場」というものに大きな魅力を感じました。この想いが、劇場へのあこがれとなり、興行というものを生業にしたきっかけとなりました。二人にとって劇場は豪華な、夢のような世界に映ったのです。

松竹の不動産は、主に劇場があった土地です。 時代のニーズに合わせて、演劇の劇場や、映画館、商業施設として営業してまいりました。劇場にいらっしゃったお客様だけではなく、劇場がある街のまわりの商店もうるおい、笑顔があふれ、街全体が活き活きとすることをこころざしています。現在の歌舞伎座の地下には木挽町広場があり、普段はお土産などを扱う商店になっています。しかし災害時には避難所となる役割を果たせるようになっており、常に街全体にとって必要な存在でありたいと考えております。 街のにぎわいと笑顔を求めて、これからもエンタテインメント企業として、松竹ならではの街づくりへの貢献を目指してゆきます。

新京極地区

新京極通は、1872(明治5)年に京都府参事槇村正直(後に2代京都府知事)の計画による地区改正によって、新歓楽地帯として新たに開かれた通りで、劇場や見世物小屋をはじめ大小の飲食店が軒を並べ、四季を通じて人通りが多く、大衆繁華街として昼夜の別なく賑わっていました。

松竹は1895(明治28)年に、新京極阪井座の興行主として創業しました。1900(明治33)年、阪井座を取り壊した後、買収した祇園館を移転させ、これを歌舞伎座と改称しました。同年、常盤座は新京極開発と同時に、誓願寺の近くの竹林院の後に建てられた館で経営することになり、また同年に夷谷座を1913(大正2)年に京都座を直営とし興行を開始しました。
当初は演劇興行の館として経営していましたが、時代の流れとともに映画館、ボウリング場、商業施設と移り変わり、その都度館名も変更し、今日に至っています。
現在の京都新京極地区の不動産経営は、シネコンが入居する京都松竹座ビル、通称MOVIX京都北館(旧京都座)および、京都松竹座ビル、通称MOVIX京都南館(旧常盤座)、貸地としてのホテルグレイスリー京都三条南館(旧夷谷座)、2018年秋に竣工予定の京都松竹阪井座ビル(旧新京極阪井座)があります。

東銀座地区

東劇
京都新京極に端を発した松竹の興行の手は、大阪道頓堀に伸び、次いで東京に進出しました。 1889(明治22)年に建てられた歌舞伎座を1909(明治42)年に買収、翌年の1910(明治43)年に松竹が新富町に東京事務所を開設した後、歌舞伎座を1911(明治44)年に改築し、1924(大正13)年に再築しました。
1925(大正14)年に新橋演舞場を、1930(昭和5)年に東京劇場を開場し演劇興行を行いました。1934(昭和9)年には有楽町の朝日新聞社社屋に入居しておりました映画館を丸の内松竹と改称し、松竹の封切館にしました。
この銀座界隈に娯楽の街として、理想的でサービス満点な劇場や映画館を提供したいという思いを描いていた創業者は、1956(昭和31)年に松竹会館(本社と映画館)を竣工しました。
その後東京劇場は、演劇興行の館として経営していましたが、時代の流れとともに映画館へと移り変わりました。また、松竹会館は一部ボウリング場へと一時期変わりました。1975(昭和50)年に東劇ビル(映画館との複合ビル)、1982(昭和57)年に新橋演舞場を建替え、1984(昭和59)年および1987(昭和62)年には、有楽町センタービルⅠ期棟・Ⅱ期棟(丸の内ピカデリー1・2・3)を竣工しました。また、2002(平成14)年には築地松竹ビル(旧松竹会館)を建替えました。
2013(平成25)年には、歌舞伎座を劇場、オフィス、商業等からなる地下4階、地上29階建の複合ビルに建替え、名称をGINZA KABUKIZAとし、銀座のシンボルタワーとして現在に至っております。