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初代(第一期)歌舞伎座

初代(第一期)の歌舞伎座は、演劇改良運動に熱心だった福地源一郎が中心となって、自らの理想を実現すべく、1889年(明治22年)11月21日に開場しました。
外観は洋風でしたが、内部は日本風の檜づくりでした。
演劇のジャンルをそのまま劇場の名称としましたが、当時は市村座・新富座などのように座元の名前や地名をつけるのが普通でしたので、歌舞伎座はその存在自体が大変斬新な劇場だったのです。
また、この頃は「團菊左」と呼ばれた九世團十郎・五世菊五郎・初世左團次が揃って出演し、常に劇界をリードしていました。

第二期歌舞伎座

1911年(明治44年)に、純日本式の宮殿風に大改築され、第二期歌舞伎座が誕生します。
1914年(大正3年)からは松竹合名社(現在の松竹株式会社)が興行の一切を受け持つようになりますが、1921年(大正10年)10月、漏電により焼失します。

第三期歌舞伎座

新しい劇場を建設途中の1923年(大正12年)9月1日、関東大震災に遭い、工事が一時中断しましたが、3年の空白を置いて、1924年(大正13年)12月、奈良朝に桃山様式を併せた大殿堂、第三期歌舞伎座が落成しました。
そして、時代は昭和へ。
歌舞伎座は黄金時代を迎えます。
十五世羽左衛門・六世菊五郎・初世吉右衛門などの名優が活躍し、日本を代表する劇場としての地位を揺るぎないものにしました。
しかし、戦時下の1945年(昭和20年)5月の大空襲により、外郭を残して焼失します。

第四期歌舞伎座

空襲により劇場の大部分が失われましたが、戦後、破壊を免れた基礎・側壁・屋根の一部を活用し、修理工事を行いました。
物資の乏しい時期でしたが、第四期歌舞伎座は、第三期のデザインを再現しながら、近代的な設備を取り入れ、1951年(昭和26年)1月に再建されました。
戦後復興の時代、社会の価値観が大きく変化する中で、歌舞伎にとって大変厳しい時代を迎えますが、その間も、歌舞伎座は数多くの名舞台を送り出してきました。その後、襲名披露興行や海外公演などの評価により苦しい時代を乗り越えた歌舞伎は、今日の隆盛を迎えます。2010年(平成22年)4月の興行をもって、建替えのため休館しました。

第五期歌舞伎座

第四期歌舞伎座の瓦屋根、唐破風、欄干等の特徴的な意匠を踏襲、従来通りの存在感ある和風意匠の趣とすることにより、歴史と景観の継承を図りました。
同時にバリアフリー対応や耐震性の向上、緑化をはじめとする環境対策など様々な機能を兼ね備え、背景には、日本建築の捻子連子格子をモチーフとした品位あるデザインのオフィスタワーが建ち、銀座の街並みと調和する端正な建物となりました。
伝統と創造が融合した、新しい時代に相応しい劇場です。