映画・アニメの世界

【作品データベース】くもとちゆうりつぷ

作品情報

INTRODUCTION
上映時間・16分
大船作品 1943年に松竹動画研究所(当時)によって制作されて公開された日本初のフルセルアニメーション作品(モノクロ)。太平洋戦争中に日本で制作された貴重な国産アニメである。2巻の16分作品。松竹の初のアニメーション作品ということで多大な予算をかけ、大学初任給が60円だった当時に倍以上の150円の給料で10名のスタッフを雇い、1942年から制作を開始した。16分の作品に2万枚の動画枚数をかけ、プレスコ方式が用いられている。てんとう虫の声は童謡歌手の杉山美子、クモの声はオペラ歌手の村尾護郎があてて、歌いながら進行するミュージカルアニメである。当時日本で一般的であった切り絵アニメーションではなく、このアニメではすべてセル画を利用して作られている。当時はセルは貴重品であったため、「セル洗い」を繰り返し、セルを使いまわしていた。色の諧調を綺麗に出すために、白黒作品ではあるが、セル画に彩色が施されている。松竹動画研究所の製作課長に招かれた政岡憲三が監督を務め、主人公のてんとう虫の動きは水着を着た政岡の妻をモデルにして作画された。漫画家の松本零士は、本作を幼少期に兵庫県明石市で見て、アニメ制作を志したという。同じ明石市の劇場では偶然、後に漫画家になる手塚治虫も本作を見ていたといい、後年に二人が初めて出会った際、本作を同日に見ていたことが判明した。後の漫画家のうしおそうじは、滋賀県八日市市で添え物として上映されているのを偶然見て、戦時下にこのような叙情的な作品が作られたことに涙を流したと記した。なお原作は1ページ半のそっけないもので、アニメの叙情性は原作者よりも政岡憲三によるところが大きい。

STORY
花畑を舞台とし、てんとう虫の女の子とクモとの追い掛けっこが物語の軸となっている。樹の上にクモの巣を張り、その前にあるハンモックへ誰かを乗せようと辺りを見回したクモは、歌を歌う女の子を見つけ「ハンモックへ乗って遊ばないか」と誘う。てんとう虫の女の子は「ありがとう」としながらも「陽が落ちて、三日月さまが出たから遊ばない」と断りクモと別れる。諦めきれないクモは糸を巧みに操りながら執拗にてんとう虫を追いかけ続け、危険を察したチューリップは花の中にてんとう虫を引き入れてかくまう。そのことを知ったクモはチューリップを大量の糸でグルグル巻きにして、てんとう虫が外へ出られないようにしたうえでハンモックへ戻り、眠ってしまう。しばらくすると大粒の雨が降り出し、やがて雷鳴と強風の嵐へと変わり、ハンモックは風で飛ばされ、クモの巣も半分が失われた。糸を掴んで飛ばされずに済んでいたクモも巣を修復している最中に飛んできた枝に当たって遠くへ飛ばされ、別の樹へたどり着く。そこでミノムシの子供から蓑(ミノ)を奪い取って嵐が通り過ぎるのを待とうとするクモであったが、身に付けた際に足が蓑の中に隠れて身動きが取れなくなったうえ糸を操ることもできなくなり、遠くへ飛ばされて水の中へ没した。嵐が過ぎ去り陽の光が輝く花畑で、チューリップの中にいて難を逃れたてんとう虫は外へ出て再び歌い始める。樹の上にはクモの姿はなく、陽に照らされて雨露が輝く半分のクモの巣だけが残されていた。

スタッフ

- スタッフ -
原作:横山美智子
監督:政岡憲三
脚本:政岡憲三
音楽:弘田龍太郎
制作:松竹動画研究所

配給:松竹
©1942松竹株式会社

ジャンル:アニメ