《蝶々夫人》みどころレポート

2024年6月10日 月曜日

コンサート・ソムリエ 朝岡 聡

 

 

A・グリゴリアンのMETデビューとなる「蝶々夫人」は、彼女が最初に登場する婚礼の場面から劇的な結末まで、常に観る者の心を捉えて離さない。

美しい舞台姿と共に特筆すべきはその声域と表現の幅広さ。このオペラでは、花嫁の時は可憐で、あどけなさすら感じさせる乙女(台本では15歳)だった蝶々さんが、物語の進行と共に強い意思と覚悟を持つ大人の女性へと変貌してゆく。プッチーニがその音楽的変化を考え抜いて書き上げた難役を、どの場面でも、どの声域でもこれほど見事に歌いきるとは!もちろん〈ある晴れた日に〉は絶品です。

演技も実に巧みで自然。『どんな役でも共感できる。その状況に身を置くだけ』と語る彼女は、今回もまさに蝶々さんそのもの。ほぼ出ずっぱりで歌うグリゴリアンの「成長する蝶々さん」をじっくり味わっていただきたい。そのあまりに真摯な声と姿に私は最後の場面で、不覚にも落涙してしまった…。

リトアニアで生まれた彼女の両親もオペラ歌手で、実は両親もMETで歌っていたそうだ。それだけに今回の舞台は格別な想いで迎えたようで、そのあたりは幕間の本人インタビューでも披露される。いつも興味の尽きない幕間インタビューだが、MET初登場のグリゴリアンの語る内容は特に聞き逃せない。

一方、ピンカートン役のJ・テテルマンがまた良い!こちらも今シーズンがMETデビューの若き才能あるテノールで、バリトン出身ゆえの密度の濃い美声がグリゴリアンとベストマッチ。2人による第1幕の「愛の二重唱」の場面では、ライブビューイングならではのカメラアングルと画面の切り替え効果も抜群。客席で、熱く艶やかな究極の愛の陶酔に浸れること請け合いだ。

さらに今回の演出は2006年以来METで愛されるA・ミンゲラによるもの。19世紀後半のジャポニズム趣味や異国趣味が背景にある本作は、プッチーニも作曲にあたり日本の音楽や五音音階をふんだんに採り入れているけれど、衣装やセットもオリエンタルな美学を生かしたもので、鮮やかな色使いと相まって鮮烈な印象を与えてくれる。特に、文楽からインスピレーションを得たという人形が登場して、蝶々さん最愛の息子を演じるのだが、この動きがまことに表情に富んで秀逸。蝶々さんとの別れのシーンなどは、グリゴリアンとのコンビネーションも完璧で唸らせてくれる。

また、今回がMETデビューとなる指揮のシャン・ジャンがプッチーニの音楽を深く掘り下げてアプローチしているのも、この公演の特色で、プッチーニが意識した日本やオリエンタルな要素とイタリア・オペラを結びつけて音楽をまとめ上げる立場には最適の人材と言えるだろう。その洗練された美学も今回の「蝶々夫人」の輝きの泉源だと感じた。

知名度も人気も高く、METライブビューイングでも4回目の上映となる「蝶々夫人」だが、今回は格別。新たな発見と感激に満ちたオペラ体験になるはずだ。

METライブビューイング
2024-25
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