チャイコフスキー《エフゲニー・オネーギン》みどころレポート

2026年6月4日 木曜日

タチヤーナの《エフゲニー・オネーギン》

音楽評論家 堀内修

 

 主役は誰か?プーシキンの原作でも議論されている。タイトル通りオネーギンなのか?それともタチヤーナなのか?憂愁の男か、恋する女か?これがオペラになると、さらに幅が広がる。寂寥感をたたえてテノールの美しいアリアを歌うレンスキーや、時には第3幕で妻への愛を歌うグレーミン公爵が加わったりするからだ。だが、アスミック・グリゴリアンがタチヤーナを歌うとなると、議論の余地がなくなる。ベルリンで歌って大評判になってから、空前のタチヤーナ歌いとして、グリゴリアンは世界の歌劇場から求められている。もちろんメトロポリタン・オペラからも。そしてメトの《エフゲニー・オネーギン》 がタチヤーナの物語になった。

 

 思いつめたタチヤーナの「手紙の場」の高揚は、昔からこのオペラの聴きどころだったのだけれど、グリゴリアンはこの場をさらに切羽詰まったものにする。さらに驚くべきは第3幕での表現だろう。メトロポリタン・オペラのデボラ・ワーナーによる細やかな人物描写の演出は、新しく制作されたものではないが、新しい息吹を与えられている。タチヤーナはいつ、どのようにオネーギンに夢中になっていったのか?上流婦人に変身して優雅を身にまとったタチヤーナの動揺がどう起ったのか?手に取るように伝わってくる。室内オペラとして作られ、小さな劇場で初演された《エフゲニー・オネーギン》をメトロポリタン・オペラのような大きな劇場で上演するのは難しい。その困難を、人物の表情や仕草を的確に捕えるライブビューイングの映像が、補っている面もありそうだ。

 

 オネーギンを歌うユーリ・サモイロフやレンスキーのスタニスタス・ドゥ・バルベラックも注目すべきだが、この公演ではタチヤーナの妹オリガにも注意を払うほうがいい。人気のマリア・バラコーワは魅力的な声のメゾ・ソプラノであるだけでなく、役作りも並ではない。おかげで第2幕でのオネーギンとレンスキーの対立をもたらしたのは、オネーギンの悪意だけではないと伝わり、ドラマに奥行きが出ることになった。

 

 タチヤーナの劇的な歌やレンスキーの悲哀のアリア、そして冷笑家オネーギンの激しい変化の歌で、チャイコフスキーのオペラが実現した。でもグリゴリアンたちのチームは、さらにその奥のプーシキンの繊細なドラマにこの上演を届かせた。
 本編でピーター・ゲルブが話していたように、確かに、プーチンは要らないけれど、プーシキンは要る。

 

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