新派・松竹新喜劇コラム
第3回 橋を渡れたら

1961(昭和36)年7月新派公演『橋づくし』(歌舞伎座)

  前回の東京オリンピック(昭和三十九年)を頂点とする高度経済成長によって、東京の風景は変貌した。なかでも、もっとも姿を変えたのは、〈川端の眺め〉であろう。
 物流の合理性をはかるため、東京の多くの川、運河は埋め立てられて道路となり、あるいは統制された管理という観点から、遊歩道や公園になった。昭和三十年代の東京地図をみると、歌舞伎座や新橋演舞場の南側には築地川が流れていて、これらの劇場は川のほとりに建っていたことがわかる。いま、首都高が走っている。
 有楽町の銀座インズ(ショッピングモール)になっている場所は皇居の外堀で、数寄屋橋は銀座と有楽町を結ぶ橋であったわけだ(いまは、土地がなんとなく地続きになっているので、空気の違いというものがない)。
 もっとも、私は銀座に川のあった時代を知らない。昔の写真や映画を見て、東京にもこんな素敵な眺めがあったのかと思うのみである。  三島由紀夫が昭和三十一年に発表した小説『橋づくし』は文字通り、東京の堀割に架かる橋をモチーフにした短編だ。銀座で芸者をしている小弓、かな子、満佐子の三人は、陰暦八月十五夜の夜、七つの橋を渡って願掛けをすると想いが叶うという言い伝えを信じて、お座敷の引けたあと、それを実行しようとする。ただし、単に橋を渡るのではだめで、一切口をきかぬこと、知り合いに話しかけられぬこと、同じ道を二度歩かないこと、という決まりごとがある。三人のほかに、夜道の用心として東北出の女中、みなが同道して出かけるが・・・・・・。

昭和30年代前半の東劇周辺

 歌舞伎座の裏にある三吉橋(中央区役所の前の三叉路)からスタートして、築地側のほとりを聖路加病院のほうへ歩き、築地橋、入船橋、堺橋・・・・・・と、めいめいの願いを心に秘めながら道行きをする女たちを、三島由紀夫はたっぷりとした筆づかいで描写している。
 この作品は、発表から五年のち、昭和三十六年七月の新派公演(歌舞伎座)で劇化された。新派の一座に十七世中村勘三郎が参加した特別公演で、脚色・演出は榎本滋民。配役は三人の芸者に阿部洋子、霧立のぼる、渡辺千世。重要な女中には京塚昌子。
 当時のプログラムには三島由紀夫が文章を寄せている。〈私の北叟笑んでゐたことは、この話ばかりは小説の独壇場で、芝居にも映画にもなるまいといふことであった。「ざまあ見やがれ。芝居にできるものならしてみやがれ」といふくらいの気持ちだった。ところがこの私の挑戦に対して、榎本滋民君がみごとに芝居にしてみせてくれたのに私は唖然とした。この勝負は明らかに私の負けである〉というのは、三島による、初日への贈り花だろう。
 新派版の『橋づくし』は、再演されていないようだ。しかし、オリンピックに向けて、東京がふたたび普請中のいま、この芝居の新版を拵えて上演をしたら、さまざまな意味で面白いのではないだろうか

現在の東劇周辺
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文・和田尚久(わだなおひさ)

放送作家・文筆家。東京生まれ。 著書に『芸と噺と 落語を考えるヒント』(扶桑社)、『落語の聴き方 楽しみ方』(筑摩書房)など(松本尚久名義で上梓)担当番組は『立川談志の最後のラジオ』、 『歌舞伎座の快人』、『青山二丁目劇場』(以上、文化放送)、『友近の東京八景』、『釣堀にて』(以上、NHKラジオ第1)ほか。