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河合 雪之丞 × 二代目喜多村 緑郎

――芝居にあまり興味がない人でも「歌舞伎」に関しては、ある一定のイメージがあると思います。しかし、百年以上(平成30年で130年)の歴史をもつ「新派」に関して、とくに若い人たちはイメージを持っていないように思います。改めて、お二人に「新派とはこういう演劇です」と説明していただくと?

喜多村一口で言うと、明治に入って西洋から日本に伝わってきました。歌舞伎でも江戸時代の歌舞伎に近代的なリアリズムを加味した新歌舞伎という作品群ができたんですが、歌舞伎とは一線を画したところで、近代的リアリズムにのっとった演劇が、当時の文壇の力を得て誕生し、女優を加えた歌舞伎以外の役者たちによって上演をした。大きなくくりで言うと、そのようにして新派が成立した。

河合時代的に言うと、歌舞伎がカバーしなかった、例えば明治・大正・昭和時代、もちろん平成の現代劇も発表されています。

喜多村だから歌舞伎に対する近代演劇とも言えるのですが、まったく歌舞伎に背を向けてた作品ばかりでなく、先行する歌舞伎のいいところも取り入れながら、新しいリアリズムのかたちを作った。歴史的にも先代の喜多村緑郎・伊井蓉峰・河合武雄といった名優が新派のスタイルを作っていったわけです。そうした歴史の積み重ねがあって、歌舞伎に次ぐ日本の古典芸能にいまやなりかけているところかなという感じですかね。

――演技スタイルとしては、歌舞伎よりも写実に近い感じになるのでしょうか?

喜多村新派に入って面白く感じるのは、歌舞伎のメソッドも使っているんだけれども、なるたけそぎ落として、そぎ落として。でも、「リアルなだけ」にはならないというか。微妙な線をねらっている。

河合歌舞伎には歌舞伎独特の演技方法があって、特に女方というのは、技術を通過しないことには成り立たない。歌舞伎のなかでも、時代物、世話物、書き物(新作)と作品によって演じ分けをしますけど、わたしは新派も歌舞伎の演技方法をベースにしたところで演じる演劇だと思います。そこが新劇はじめ他のジャンルと新派の違いかな、と。 たとえば、『婦系図』の場合、舞踏や音楽の要素が盛り込まれています。

――昔の新派の役者さんにはそうした感覚が色濃くあったのでしょうね。

喜多村先代の喜多村さんがそうだったらしいんです。『婦系図』の湯島境内の場の清元に乗って所作をするところ、あれは全部、喜多村先生がお作りになったんです。

河合すごく細かい演出台本が誇っています。

つづく

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