#08

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歌舞伎座舞台
足立安男

――足立さんは元々建築業界にいらっしゃったと伺いました。なぜ、大道具への道を歩まれるようになったのですか。

足立 幼い頃から、家にはなぜか三味線やお琴がありました。音楽で食べていきたいと思って、音楽学校に通おうかと考えていたのですが、そこまで甘くもなく…。建築の学校へ通い始めました。建築事務所に就職ししばらく経った、昭和50年。景気が持ち直した日本では、土地付きの建物を売る「建売」が始まりました。現場に行ってはみたものの、施工の納まりがわからず、苦労しました。そんな折、人が生活を営む「空間そのもの」を学び直そうと思い、設計事務所に行くことを決意しました。が、3カ月しないと空きがでないと言われてしまいました。会社も辞めてしまったので途方に暮れていたところ、目に入ったのが歌舞伎座舞台(当時は長谷川大道具)でした。

 当初はつなぎのつもりでしたが、持ち前の「形になるまでは辞められない」という精神が疼き、気づけば3カ月を過ぎていました。私は体が小さく、夜皆が帰った後にこっそり残って、重いものを持ち上げる自主練習をしたり、毎日先輩方に怒られながら、段々とこの仕事の面白さが分かるようになりました。一時期は、歌舞伎座にお客様がなかなかいらっしゃらず、苦しい時期もありました。それでも、聞こえる割れんばかりのお客様の拍手は、まるで自分たちを褒めてくれているかのようでした。なぜなら舞台の最前線に立つ俳優さんは、衣裳、床山、小道具、大道具…全ての思いを背負い立っているからです。なんとなく入ったこの世界。でも、俳優さんが芝居の中で魅せるふとした台詞回しや、間から感じる色気や寂しさは、人として心に響くものがありました。自分の人生の中で得られなかった世界観を舞台からもらったと思っています。

――これからどのようにして、それらの“思い”や“技”を受け継がれていくのでしょうか。

足立 私が今いる場所は、歌舞伎が始まって400年という、大きな歴史の川の一端でしかありません。つまらない理由で流れを変えるわけにも、川を汚すことも許されません。自分なりにジャッジし整理をしながら、きちんとした形で残していくことが務めだと考えています。でも、守りに入ってしまっては歴史の積み重ねは、一瞬にしてだめになってしまいます。様々なものに日頃から触れることで、感性を豊かに持ち続けたいですね。

――大道具の一つひとつに歴史の川が流れているんですね。

足立 大道具という仕事は、汗をかいた姿を舞台に表してはいけないものです。お客様は浮世を忘れて歌舞伎の世界を楽しまれます。そこに「あぁ、大道具さん大変だったんだな」と少しでも思わせてしまうと、一気に現実へと引き戻してしまう。形あるものは嘘がつけないので、苦労を伴います。それでも、生みの苦しみがある側にいたいです。「そんなの無理だよ~」と言いながらも、できてしまうような(笑)。

取材:松竹株式会社 経営企画部広報室

おわり

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#07

足立安男(あだちやすお)

1978年、長谷川大道具(現・歌舞伎座舞台株式会社)入社。歌舞伎座の舞台転換業務に従事。85年、三代目市川猿之助の2カ月間欧州歌舞伎公演より、俳優さん、演出家との打ち合わせと図面作成業務の専任となる。第五期歌舞伎座新開場の基本設計に尽力。18年より常務取締役に就任。現在は、歌舞伎座公演ほか海外公演や幕張メッセでのイベントなども担当。