#09

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附打(つけうち) 芝田正利

――附打さんはどのようにお稽古をされ本番を迎えるのでしょうか。

芝田 歌舞伎のお稽古は、附立(つけたて)、総ざらい、舞台稽古という順番で、約4~5日必ずあります。そこで、お稽古が始まる前に、過去に同様の演目を打った際に作った資料を引っ張り出して、個人練習をします。今は台本が配られるのですが、私が若かった頃は配られませんでした。自分自身で俳優さんの台詞や演出などをツケを打ちながら、お稽古中に走り書きをして自分だけの台本を作っていました。

本番中のツケを打たない時は、他の大道具と一緒に道具を組み立てたり、飾ったりしています。出番の直前まで舞台袖の附打の控室に控え、ツケを打つタイミングになるとツケ場と呼ばれる、舞台上手の端にそっと座ります。裏では一切の無駄がなく、常に誰かが動き続けています。特に歌舞伎座舞台では、一人ひとりが自立をしていて、最高の仲間たちだと誇りに思っています。道具一つを飾る、片づけるにしても、こんなにも芝居に一所懸命な大道具は他にいません。

――台本を配られない時代もあったのですね。

芝田 そうなんです。でも、手を動かしていたからこそ仕事を覚えることができたのだと思います。今はありがたいことに配られますが、手を動かしていないので覚えるのに時間がかかります。当時は大変な作業でしたが、芝居を見ていられるという幸せがあるこの仕事は、最高の職業だと感じていました。“好きこそものの上手なれ”と、本当に思いますね。

――若い方へはどのように技術を伝えられているのでしょうか。

芝田 歌舞伎座には、私も含めて5人の附打がいます。若い人にはいつも、「俳優さんが楽しく、気持ちよく演じられるように、打たせていただきありがとうございます、という気持ちで打たなきゃだめだよ」と口酸っぱく伝えています。俳優さんがいいお芝居をして喜ばれるのは、最終的にお客様ですからね。後は、芝居を見ること。見ていると自然に、誰かに指示をされなくても今何をすべきなのか、仕事が分かるようになります。

 また附打にとって大切なこととして、ツケを打つ時の佇まいがあります。例えば『鏡獅子』ですと、打つタイミングは1回きり。座るきっかけが難しい演目です。花道に俳優さんが登場し、お客様の目がそちらに向いた瞬間に、気づかれないように座る。附打は、決して芝居の邪魔をしてはいけません。若い人には、総ざらいの時に客席に座ってもらい、私が打っている姿を見てもらうことで、お客様からどう見られるのか学んでほしいと思っています。

――芝居を見ることの大切さは、師匠である中村藤吉さんから芝田さんへ、芝田さんから若い方へと受け継がれているのですね。

芝田 「芝居をよく見て、数を打たなきゃだめだよ」とよく言っています。数を打つというのは、本番だけではなく、お稽古も含めてです。ただ最近は、終演後は電気が消されるため、時間や場所に制約があり、時間的に難しいのが現実です。

――先日、黄綬褒章を受章されましたが、忘れられない出来事などはありますか。

芝田 まだ新米だった頃、私はよく二世尾上松緑さんに打たせていただいておりました。松緑さんは、「好きなように打て。俺が合わせてやる」といつも仰ってくださっていましたね。上手く打てるようになった頃、当時ご出演されていた六世中村歌右衛門さんや初世・松本白鸚さんに、楽屋に呼び出されては、ダメ出しをされるようになりました。少しふてくされ、そのことを松緑さんにペラッと、こぼしてしまいました。 松緑さんは、「ばかだな、お前。つまんないこと考えているんじゃないよ。打てるようになったから、言っているんだろ。ダメが出るってことは、言ったらその通りにしてくれるからだよ。お前なら、できるだろ?」と仰いました。その言葉を聞いた時、私は何も言えませんでした。それから怒られるたびに、「ありがたい」と思うようになっていきました。

今も常に懐にしまっている“ことば”

――俳優さんも含めて、皆で歌舞伎全体を育てていこうとされていたのですね。

芝田 歴史があるというのは、様々な苦悩があったということです。もちろん、10代20代の人が入口となるような芝居も大事です。でも古典というのは、何百年もかけて、練って色んな人が悩んできたから今がある。古典も新しいものも両方大事です。

――最後にお仕事をされる上で大切にされていることを教えてください。

芝田 挨拶です。楽屋や裏での佇まいは、お客様に伝わってしまいますから。そして、私に働ける場所を作ってくれた職場に、附打をさせてくれる機会を与えてくださった皆様に感謝しかありません。でなければ50年余も続けてこられませんでした。 以前、香淳皇后にお招きをいただき恩賜(おんし)のたばこを頂戴し、家に持って帰ったことがありました。母は涙を流しながら、「お前みたいな不良が、よくここまでやったね」と喜んでくれました。嬉しさと当時に「あぁ。大道具になって、附打になってよかったな」と心から思ったのを覚えています。母は私に、「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」と、ぽつりとつぶやきました。この言葉は、今の私の全てです。俳優さん、大道具の仲間たちに感謝しかありません。今でも劇場に来るのが、毎日楽しいです。

取材:松竹株式会社 経営企画部広報室

おわり

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#08

芝田正利(しばたまさとし)

1965年、長谷川大道具(現・歌舞伎座舞台)入社。中村藤吉に師事し70年『伽羅先代萩』にて歌舞伎座初舞台を踏む。97年、舞台芸術組合賞受賞。2007年、俳優協会永年功労者表彰、09年日本演劇興行協会平成21年度助成事業表彰、12年文化庁長官表彰、13年ニッセイバックステージ賞受賞、19年黄綬褒章受章。