#06

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藤浪小道具
関慶人

――初日が開いてからも変更や調整などはあるのでしょうか。

 はい。お客様からは見えないほどの僅かな修正をすることもありますが、俳優にとっては手に取るものによって、役への入り込みや気持ちが大きく異なってきます。俳優に寄り添うことは、芝居に寄り添うことでもあります。私自身、先輩から「芝居を観て、小道具がどう扱われているのか見なさい」と教えられてきましたし、今も言い伝えています。芝居を観ていると、「こんな風に扱っていて壊れやすいから、こういったケアをしよう」など分かってくるんです。この世界に入って25~26年経ちますが、いまだに驚くこともたくさんあります。一生勉強の世界です。

――新作の演目ですと一から作るかと思いますが、その場合はどうされるのでしょうか。

 江戸時代よりも、古い時代を舞台に武家社会を描いた「時代物」の古典歌舞伎を参考にしながら、作っていきます。後は、原作をとにかく読み込む。スタッフも俳優も元々のスキルがとても高く、体に染み込んでいるので、稽古期間が短くてもできてしまいます。これまで積み上げてきた古典の知識の点と点が線となり、一つとなる瞬間です。

「後ろに隠し鏡がついていて、舞台上でも化粧ができる仕組みになっているんですよ」と関さん

――先ほど若かった頃のお話が出ましたが、関さんはこれまで十八世中村勘三郎さんを主に担当され、多くの時間を過ごされてきたと伺っております。

 中村屋さんと出会ったのは、入社して9年目のことでした。初めて「平成中村座」が大阪で興行された時のことです。通常、小道具チームは5人編成ですが、地方出張でしたので二人一組で行わなければなりませんでした。これがまぁ、大変でした。勘三郎さんは少し怒りっぽいところがあり、スタッフ側も構えてしまい信頼関係がうまく築けていませんでした。でも、私は何も知らないが故に構えることなく、スッと入ることができ、右も左も分からない中でがむしゃらに仕事をすることで、無事に公演を終えることができました。そこからは中村屋さんが東と言えば東に行き、西と言えば西に行き…。14年間たくさんの夢を見させていただきました。

――次の世代にはどのように伝えられているのでしょうか。

 昔は職人気質で「背中で学べ」という風習がありましたね。ただ私は、記録として残していく必要があると考えています。そこから何か盗んでほしいという思いがあるからです。今、時代とともに日本語も変化をし、昔ながらの言葉は教えられることも使われることも少なくなりました。「鞍掛(くらかけ)」をご存知でしょうか。昔からあるものなのですが、今は「椅子」と呼ばれています。「土間」は「台所」に、「おひつ」は「炊飯器」に。当たり前のように使われていた日本語は簡素化され、当たり前ではなくなったのです。最近の方だと、「台本を読んで初めて知った」なんてこともありますし、芝居に会えなければ使われない小道具もあります。

そういった時代の中で、失われないように形として残していく。そして、経験をさせてあげること。私の若い頃だと5年目にならなければできなかったようなことも、早いうちからどんどん経験をしてもらっています。後は「附帳」に自分の手で書きこんでいくことで、覚えてもらうしかありません。このアナログさも歌舞伎の魅力ですね(笑)

藤浪小道具 独自の「附帳」

――時代、経験、技術。これらが積みかさなって今の歌舞伎の姿があるんですね。

 小道具という仕事は、たくさんの部門の方とお仕事をする隙間産業のようなものです。その中で思うのは、舞台とは俳優をはじめ小道具、大道具、衣裳、床山(とこやま)…。それぞれのネジとネジとが噛み合って、一つのものとなることで出来上がります。どれ一つ欠けてはならないのです。

おわり

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#05

関慶人(せきけいじん)

1994年藤浪小道具株式会社入社。歌舞伎を中心に従事。2002年、平成中村座(大阪・扇町公園)公演より、十八代目中村勘三郎を担当。その後中村屋他、中村雁治郎(現:坂田藤十郎)他上方歌舞伎などを担当。13年6月より歌舞伎座を担当。