《カルメン》みどころレポート

2019年2月27日 水曜日

音楽評論家 堀内修

カルメンと2つの歌

 

オペラの中のオペラが《カルメン》だ。それは2つの歌ではっきりわかる。

まず第1幕でカルメンが〈セギディーリャ〉を歌う。客席に歌うのではなく、ホセに歌う。カルメンはケンカをして捕えられている。見張り役を命じられたのが伍長のホセで、しっかり縄を握っている。ホセの上官が去り、2人になったところを見はからって、カルメンが歌い出す。別に妖艶な歌じゃない。誘いの歌には違いないが、砦の近くにある店に行こうよ、という軽い歌だ。でもこれこそがカルメンの歌、オペラの歌というべきだろう。最初は抵抗しているホセだが、カルメンが歌い終えるころには我慢できなくなって、縄をほどいてしまうからだ。相手の気持ちを動かし、縄をほどかせ、ドラマを進展させる歌こそオペラの歌で、〈セギディーリャ〉はその典型ということになる。

 

 ホセは必ずカルメンの縄をほどく。でも、いつだって、この歌なら自分でもほどいてしまうなど、客席の男たちが納得するとは限らない。上演の成否はこの歌にかかっていて、この歌の成否はカルメンを歌う歌手にかかっている。

 天下のメトロポリタン・オペラに、納得できない歌を歌う歌手が出てくるはずはない。でも新しく登場するマルゲーヌがどう歌うのか、手に汗握りつつ観るのがいい。クレモンティーヌ・マルゲーヌはフランス出身の今、人気急上昇中のメゾ・ソプラノで、すでにベルリンでカルメンを歌い、評判になっている。本当は詳しくここに書きたいのだけれど、控えることにしよう。新しいMETのカルメンの登場を、自分の目と耳で味わいたい人の邪魔をするわけにはいかないからだ。

 

 でも、ロベルト・アラーニャのホセがどうなのかは、すでにMETのホセとしてよく知られているので、ここに書いても差し支えないはずだ。そう、オペラの中のオペラ《カルメン》の、もうひとつの歌は第2幕でホセが歌う。カルメンを逃した罪で営倉に入れられていたホセがカルメンに迎えられる場面だ。さあ楽しもう、というところで帰営のラッパを聞いたホセは帰ろうとする。腹を立てたカルメンに辛く当たられ、ホセが歌う。懐からかつてカルメンに投げられた花を取り出し、自分の愛情を切々と歌う〈花の歌〉だ。

 

 これも〈セギディーリャ〉同様、相手の気持ちを動かそうとする歌だ。ロベルト・アラーニャが歌えば客席にいるカルメンたちは必ずその気になってしまうだろう。だが、舞台上のカルメンはならない。カルメンは凄腕の誘惑者だが、ホセは違うのだ。そして、どうしてこの歌でカルメンはその気にならないのだ!と観客が思える歌こそが、オペラ《カルメン》の魅力に直結している。もうベテランのテノールだが、いまのアラーニャのホセは誰もが「どうして!」と思える〈花の歌〉を歌う。

 

 男の気持ちを動かす歌を歌うカルメンと、どんなに切々と歌っても女の気持ちを動かせないホセは、最後に悲劇的結末を迎える。カルメンを刺し殺したホセの叫びで幕が閉じる時、深く哀しみのため息をつきたくなるのが、マルゲーヌとアラーニャの《カルメン》、メトロポリタン・オペラの《カルメン》だ。

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