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特殊美術 アトリエ・カオス
田中義彦

――これまでのご経歴を教えてください。

田中 高校生の頃に、家の近所に武蔵野美術大学の彫刻課の人たちが集まる共同アトリエがあり、入り浸っていました。しばらくすると、「手伝えよ」と言われ、昼飯代と夜のラーメンをギャラに働き始めたところ、ハマってしまいました。18歳になると、劇団俳優座に出入りするようになり、学生服を着たまま美術を手掛けていました。当時の俳優座には、安部公房さんや仲代達矢さんなどいらっしゃり、まさに絶頂期。芝居を一度も観たことがなく、知識もありませんでしたが、学生服を着ている私に対して、ガキとしてではなく仲間として、温かく接してもらいました。次第に、「この人たちと一緒にいたい」と思うようになり、安部公房さんの家に行ってはぶら下がり棒を作ってあげたり、鍋をつついたりしていましたね。

そんな私が、この道で生きていきたいと思うようになったきっかけは、『ガイドブック』という紀伊国屋ホールで上演した作品の初日でした。お手伝いとして、劇場の少し上から舞台を観ていた私は、幕が上がった瞬間、自分たちの作っているものが舞台の上にあり、俳優が芝居をし、お客様がいる……、その景色が目に飛び込んできました。「あ~、俺はこういうことがやりたかったんだ」と思ったあの光景は、今でも忘れられません。安部公房さんにはその後もよくしていただき、亡くなられた際には「デスマスクを取ってほしい」と言われ取りました。人生で最初で最後だと心に誓って。

――その後、アトリエ・カオスとして活動をされていったのですね。

田中 1974年にグループでアトリエ・カオスを始めました。NHKホールのイタリアオペラ『アイーダ』のヘッドドレスなど280点あまりの製作、次第に忌野清志郎さんのステージや、映画、テーマパーク、イベントの演出、特殊コスチュームや、小道具の製作を行うようになりました。大きな転機が訪れたのは、松任谷由実さんのライブ演出への参加です。ユーミンから「フライングをしたい」という話があり、初めてフライングに挑戦することになったのです。当時の日本には、いわゆる安全ベルトしかなく、それも人を飛ばすためのものではなかったため、試行錯誤をして一から開発をしていきました。

無事にフライングを成功してしばらくすると、松竹さんから突然電話が来ました。「三代目 市川猿之助(現・二代目 市川猿翁)が会いたい」と。ユーミンが、猿翁さんと対談をする企画があり、その時に私のことを話したようでした。忘れもしません。四谷のすし屋で14時。そこに猿翁さんはいました。「歌舞伎で宙乗りをしたい。しかもビジュアル的にエンタテインメントとして見せたい。できるか?」と聞かれ、私は歌舞伎のことも何も知らなかったのですが、「できますよ」と答えました。後日、「『華果西遊記』という孫悟空の作品をやるんだけど、何かやりたいことはない? あなたのやりたいことをやってみてよ!」と電話が来ました。私は様々なアイデアを伝えた上で、「色んなものを作れるけど、でもそれが歌舞伎に合うかは分かりませんよ」と言いました。すると、「お客様は居眠りをしちゃうから、そういうことにならなければ大丈夫!」と仰られ、如意棒をマジックのステッキのようにボタンを押すと伸びるようにしたり、とにかく色んなものを作りました。それが、猿翁さんにはまってしまった。「次は、三人で宙乗りをしたい」と言い出しました。当時の宙乗りスタイルは、鉄板を背中に背負い、直立でつるす形であったため、接続準備に時間がかかり、飛ぶ直前に芝居の流れが止まってしまうのが、大きな課題だったのです。

そこで、ユーミンのコンサートの時の技法を用いて、簡単に装着し、鉄板を背中に背負うことなく自由に動くことができるようにしました。結果、芝居の流れを止めることなくスムーズに、かつ3人同時の宙乗りという前代未聞なことをやり遂げました。これまで出来なかったことが、出来たことに大変喜んでくださいました。

――歌舞伎の可能性を拓いた瞬間だったのですね。

田中 でもすごいのは、猿翁さんの演出力だったのだと思います。歌舞伎を知らない私が作ったものをアレンジして上手く取り入れてくださったのですから。無事に公演が終わり、また電話が来ました。「次は、本当に歌舞伎なんだよ」と。そこから、猿翁さんとの歌舞伎への旅が始まりました。打ち合わせをしていても、「ホウカイボウ? なんだそれ?」といった具合に、とにかく何も分からず、歌舞伎座のロビーで眠る徹夜の日々の中で、「歌舞伎とは何か」を教えていただいていきました。歌舞伎も俳優座も、元々は知らない世界でした。でも知らないからこそ、飛び込むことができたんだと思います。ちなみに今はもう、『法界坊』は分かるようになりました(笑)。

――アトリエ・カオスさんではどういったお仕事をされていらっしゃるのでしょうか。

田中 全員で20数名の少数精鋭部隊である私たちは、コンサート系、テーマパーク・イベント系、歌舞伎系の3つの分野に分かれています。アトリエ・カオスを一言でいうと、特殊効果。なぜなら、特殊な小道具や大道具を作るからです。小道具だと両手で持ち上げなければならないものを、指で持ち上げられるようにします。小道具や大道具では難しいこと、昔だったらあり得ないものをやってみて可能にする。「できない」を「できる」に変えるのが私たちの仕事です。

つづく

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