#12

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特殊美術 アトリエ・カオス
田中義彦

―――歌舞伎の場合の演目決定から本番を終えるまでの一連の仕事の流れを教えてください。

田中 まず振付師さんと主演俳優さんから、「こういう風にできないか」、「こんなことをやりたい!」などのご要望を伺います。それらを元に様々なシチュエーションを考え、具体的に形にし、稽古場に持っていきます。この具体的に形にすることが実は非常に大切で、私たちは模型にして視覚的に分かるようにしています。歌舞伎は言語化をしないことが多く、分かって当然という伝統の世界です。歌舞伎に対する知識がある人たちが集まり、モノづくりをしてきたからこそ、型や伝統を守りぬくことができたのだと思います。一方で、知識がない人は、なかなか入ることが難しい。そのため、どんな人でも共通のイメージを抱き、話ができるように模型を作り、稽古中に様々な修正を加えながら本番を迎えます。

――宙乗りを始めとしてアトリエ・カオスさんのお仕事は、俳優さんの命を預かるお仕事でもあるかと思いますが、日頃のコミュニケーションなどはどのように取られていらっしゃるのでしょうか。

田中 裏付けをちゃんと提案することですね。ワイヤーの強度や安心性を「強度試験」と呼ばれる結果の数字で見せるようにしています。この試験を受けるには15~20万ほどの費用がかかりますが、安心料でもあります。これだけの強度があるから安心してください、と数字をしっかりと見せていくことで信用をしてもらうのです。試験は新しい素材を取り入れるたびに行い、興行のあるなしに関わらず、日頃から調査を積み重ねています。

――これまでのご経験の中で最も難しかったことはなんですか。

田中 猿翁さんがある日、「道具だけでお客様に拍手をもらえ」と仰られました。その場面は、『新・三国志Ⅰ』の戦いに負け、船が真っ赤な炎をあげながら真っ二つに折れて沈んでいく、という物語を象徴するものでした。当時、大道具を担当されていた金井大道具さんと頭を悩ませ相談した結果、大量のドライアイスで海を表現し、大きな船が真っ二つに、しかもリアルな炎をダイナミックに視覚的に見せることになりました。すると、お客様からは割れんばかりの大きな拍手があがり、本当に嬉しかったです。終演後、猿翁さんから「しばらく付き合ってもらいたい」とお話をいただき、今に至ります。

――田中さんから見た歌舞伎ならではの面白さ、魅力とはなんでしょうか。

田中 やはり、様式の美しさではないでしょうか。ぼろきれのような着物の衣裳の色味でも美しく、柄の感覚がとても繊細で、日本人がつくったエンタテインメントです。これまで私は、バレエやミュージカル、音楽にと様々なエンタテインメントに携わってきましたが、歌舞伎は他のどこにもない空気感があるように思います。以前、フロリダのディズニーに仕事で行ったことがあったのですが、どこを見ても何か引っかかるものがありました。しかし、フロリダの空を見上げた時「これだ! この色を使っているんだ!」と思いました。彼らが作った物は日本と異なり、青には目が覚めるような色鮮やかな青い色が用いられていたのです。文化とは国に根付くものであり、歌舞伎もまた日本の自然が詰まっています。それはどんなにお金をかけて作ったとしても、勝てるものではありません。

――若い方には、どのようにお仕事を継承されていらっしゃるのでしょうか。

田中 まずは挨拶の徹底。後は、その場でしか感じられないものを沢山感じてほしいと思っています。私は現在、大学で35人の生徒を相手に講師を務めています。校庭に出てドライアイスの実験などをすると、生徒はまるで子供のように目を輝かせるんです。現場には言葉には表すことのできない、様々な経験があります。それはもしかしたら、自分が思うだけで他人はそう感じないかもしれない。でも、それでいいんです。自分の中で感じてくれるものがあれば、少しでもチャンスを若い人に与えたい。私が今ここにいるのは、誰かがどこかで、チャンスを与えてくれたからなのだと思います。次は私が、その頂いてきたチャンスを与える番なのです。

――最後に田中さんがお仕事の中で大切にされていることを教えてください。

田中 一言で言ってしまえば、クオリティというのでしょうが、場面や時代などお客様に「何か」を感じていただけるような仕事を心掛けています。例えばピカソの絵は、難解で一見よく分かりませんが、その難解さは不快ではなく「何か」を感じます。私が今いる世界は、イチかバチかということはなく、モノを見せて評価を得る。単純でかつシビアです。でも私は、そういうところが好きなのだと思います。かつて、猿翁さんが私に「歌舞伎なんかさ、当時は面白いものをどんどん取り入れていった世界なんだよ。それがないから、今はダメなんだ」とお話をされたことがありました。その後、スーパー歌舞伎が誕生し、今の時代だからこそできることを取り入れ、新たなエンタテインメントを切り拓いていかれました。私たちも同じです。世の中にまだないものを独自で調べ、「できない」と言わず作り出す。そして終わった時に、少し嬉しい気持ちになれるような、そんな仕事をこれからもしていきたいです。

取材:松竹株式会社 経営企画部広報室

おわり

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#011

その他の回

田中義彦(タナカヨシヒコ)

昭和44年に結成されたアトリエ・カオスの前身に、昭和49年から参加。 昭和59年(1984)に有限会社アトリエ・カオスを設立。特殊小道具、特殊効果(フライングシステム等)のプラン、デザイン製作、特殊メイクを手掛けている。歌舞伎、オペラ、コンサート、テーマパーク等、ジャンルを問わず活動。スーパー歌舞伎には、初演から参加。