歌舞伎・演劇の世界

歴史

平成27年の吉例顔見世興行より
南座は、元和年間(1615~1623年)京都四條河原に公許された七つの櫓の伝統を今に伝える唯一の劇場です。
四条通りをはさんだ七つの芝居小屋のうち、時代の流れの中で少しずつ姿を変えてゆき、明治を迎えたのは二座のみで、明治26年に北側芝居も廃座となり南座だけが歌舞伎発祥の現在地に残りました。

明治39年(1906年)白井松次郎、大谷竹次郎兄弟の松竹合名会社が南座の経営に当たります。そして大正2年に改築。さらに昭和4年、由緒ある櫓を備えた桃山風破風造りの典雅な劇場を竣工させ、以来激動の昭和期を通し京阪の代表劇場として多様な演目を取り上げました。とりわけ京の年中行事となった歳末の吉例顔見世興行は戦中も一度も絶えることなく、古来よりの吉例を重んじながら、その歴史に新しい頁を加え続けて参りました。

平成3年(1991年)、松竹株式会社会長永山武臣により、京都の歴史的景観にとけこんだ建物はそのままに内部設備を一新した最新設備の近代劇場として改修され、同年11月新装開場記念 吉例顔見世興行によって平成の南座が新たに幕を開けました。
平成8年(1996年)、国の登録有形文化財に登録され、その後京都市の歴史的意匠建造物にも指定されています。

平成28年(2016年)1月を以て一旦休館し、耐震補強をはじめとする大規模改修工事を進めて参りましたが、現在、平成30年秋に工事を修了し、本来11月の吉例顔見世興行によって新たに開場する計画を予定しています。

日本を代表する国際文化都市・京都に立地し、日本最古の歴史を持つ劇場・南座の価値を最大に活かして次代に継承することをコンセプトに「伝統的な古典芸能」から「新たなライブエンタテインメント」まで、年間を通して幅広い文化を国内外へ発信する劇場へと新たに生まれ変わる南座にご期待ください。
南座本来の特徴的で華やぎに溢れる劇空間の魅力をそのまま保存再生し、未来へと受け継ぎます。

南座の歴史

       
慶長8年(1603年)

京都四條河原で出雲の阿国がかぶき踊りをする。これを歌舞伎発祥とする。四條河原の女歌舞伎が評判となる。

元和年間(1615~1623年)

京都所司代板倉勝重が四條河原の7つの櫓を官許する。この頃を南座発祥の起源とする。 (歌舞伎事始より)
2代目阿国が四條中島で興行をする。

延宝年間(1673~1680年)

7つの櫓のうち一座が廃絶し、6つの櫓になる。

享保9年(1724年)

5月、北側の芝居から出火し全座焼亡するが、11月各座とも復興する。

享保15年(1730年)

近所の水茶屋から出火し、六座とも消失。これより瓦葺きとなる。

寛保元年(1741年)

11月の大火で二座が廃絶。

宝暦・明和年間(1751~1771年)

南の芝居と北東の芝居、西の芝居の三座になる。

寛政6年(1794年)

四條河原の大火で3つの櫓が焼失する。

文化・文政年間(1804~1829年)

一座廃絶し、北側の芝居と南側の芝居の二座となる。

文久3年(1863年)

祇園の大火で二座が焼失する。

明治3年(1870年)

6月に四條河原の大火で二座焼失するが、10月に二座とも復興する。

明治20年(1887年)

南北二座とも改築し、南は7月、北は11月に落成した。

明治26年(1893年)

5月に北側芝居が廃座した。

明治39年(1906年)
松竹合名会社が南座の経営に当たる。
大正2年(1913年)
11月に南座は全面的な改築をする。
12月吉例顔見世興行。この時より東西合同のスタイルとなる。
昭和4年(1929年)

昭和の南座が新築落成される。

平成2年(1990年)

2月に興行を終え、3月より大改修工事に入る。

平成3年(1991年)

10月南座新装開場となる。

平成8年(1996年)

南座の建物が国の登録有形文化財に登録される。

平成30年(2018年)

11月南座発祥400年 南座新開場(予定)