映画・アニメの世界

松竹の映画製作の歴史 Part16 〈「職人監督」から「名匠」へ ・・・野村芳太郎監督〉

野村芳太郎監督(前半)

野村芳太郎の父、野村芳亭は日本の映画製作の草創期に活躍した監督の草分け的存在で、松竹蒲田撮影所の所長も務めた人物です。その関係で野村芳太郎は、1919(大正8)年京都で生まれた後、京都と東京を行き来して育ちました。
そして、撮影所の中で過ごす日常から、松竹大船撮影所に入社することになります。
1946(昭和21)年に復員した後、当時東宝争議を避けて松竹大船に来た黒澤明監督の『醜聞』『白痴』で助監督を務め、黒澤から「日本一の助監督」と評価されました。
そして、1952(昭和27)年に『鳩』で監督デビューしました。
鳩
『鳩』(出演・石濱朗、有島一郎)©️松竹
初期は会社の意向に従って、あらゆるジャンルの作品を手掛ける職人監督で、『伊豆の踊子』(1954年)などの軽い青春映画や『びっくり五十三次』(1954年)などの喜劇を多作したのち、1957(昭和32)年に京都撮影所で『伴淳・森繁の糞尿譚』を監督し、注目されました。伴淳三郎、森繁久彌というドタバタ喜劇俳優のシリアス・ドラマへの進出であり、こうした配役の自由化が日本映画を豊かなものにしていきました。
伊豆の踊子
『伊豆の踊子』(出演・美空ひばり、石濱朗)©️松竹
伴淳・森繁の糞尿譚
『伴淳・森繁の糞尿譚』(出演・伴淳三郎、森繁久彌)©️松竹
つづく『張込み』(1958年)は、野村監督にとって初めての松本清張原作ものになります。監督としての勝負作として取り組んだとされ、冒頭に描かれる列車シーンは、車内の様子をリアルに撮影し、通り過ぎる主要駅のカット挿入、別撮りした列車走行風景などで、1,000km以上に及ぶ旅の長さを見事に印象付けています。刑事が犯罪者を追求するサスペンス劇の形式をとりながら、追いつめられた男と女の愛の物語を綴り、大船の伝統であるデリケートな情感描写によって、奥行きのある作品に仕上げています。
張込み
『張込み』(出演・大木実、宮口精二)©️松竹
そして同じ松本清張原作の『ゼロの焦点』(1961年)は、能登金剛・ヤセの断崖をクライマックスの舞台として、主人公と犯人が直接相まみえる場面が設定されるなどのアレンジにより、清張原作映画の中でも著名な作品の一つになりました。野村監督は後日、「冬の能登半島を、殺人の舞台となる断崖を探して歩き廻った。十二月の能登の天候はまるで気違いの様で、横なぐりの突風や、パチンコ玉の様なアラレが降った。空が暗く、その一部がさけると、一条の光で、暗い海の一部が輝き、波が踊った。この時見た景色が映画化のイメージの原点になった」と語っています。
主人公と犯人が崖上で相対する演出は、のちに2時間ドラマなどで多用、定番化されたため、現在では、しばしば本映画がこの演出の原型と位置づけられています。
ゼロの焦点
『ゼロの焦点』(出演・久我美子、高千穂ひづる)©️松竹

野村芳太郎監督(後半)

1974(昭和49)年の『砂の器』は、今も好きな日本映画の常連としてタイトルがあがる名作です。公開当時も、清張原作の社会派サスペンス映画として、モスクワ国際映画祭の審査員特別賞を受賞するなど、海外の評価も得ています。映画のラスト40分のクライマックス・シーン全篇に亘って流れる、菅野光亮作曲「ピアノのための組曲『宿命』」の旋律は、心の芯に響きます。最近では、映画の中のセリフや効果音はそのままに、音楽パートをオーケストラが生演奏する〈映画上映+コンサート〉の複合ライブ・イベント「シネマ・コンサート」が評判を呼んでいます。
砂の器
『砂の器』(出演・丹波哲郎、加藤剛)©️松竹・橋本プロ1974
1975(昭和50)年には、結城昌治の「ヤクザな妹」を原作とし、当時大ヒットを記録した「昭和枯れすゝき」(歌:さくらと一郎)を作品のモチーフとして、当時の東京の風景、風俗を背景に『昭和枯れすゝき』を製作しました。高橋英樹、秋吉久美子の異色のキャスティングが注目されました。
昭和枯れすゝき
『昭和枯れすゝき』(出演・高橋英樹、秋吉久美子)©️松竹
そして1977(昭和52)年には、原作者の横溝正史ブーム、主人公の探偵・金田一耕助ブームの中、『八つ墓村』を世に送り出しました。金田一耕助の役には渥美清を配し、劇中のセリフ「祟りじゃ〜っ」が、キャッチコピーとして流行語にもなり、興収40億円超を記録しました。
八つ墓村
『八つ墓村』(出演・渥美清、萩原健一)©️松竹
1978(昭和53)年には、大岡昇平の原作による裁判劇『事件』を映画化しました。
佐分利信、芦田伸介、丹波哲郎という野村作品常連のベテラン陣に加え、渡瀬恒彦、松坂慶子、大竹しのぶ等の俳優陣が一皮向けた演技を見せています。男女の愛憎の葛藤を描いた円熟の演出は、これまでの野村監督作品の集大成とも言える、との評価も受け、第2回日本アカデミー賞の、作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、助演女優賞、助演男優賞、撮影賞で最優秀賞を獲得したほか、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞、キネマ旬報賞等各賞を受賞しました。
事件
『事件』(出演・松坂慶子、大竹しのぶ)©️松竹
1978(昭和53)年、松本清張が映画・テレビの企画制作を目的として設立した「霧プロダクション」に、野村も参加。松竹・霧プロダクション第1回提携作品として、清張原作の『わるいやつら』を製作しました。
「霧プロダクション」は、清張が『黒地の絵』の映画化を強く望んで設立されたものとされ、その企画が難航したまま、1984年解散しました。
わるいやつら
『わるいやつら』(出演・松坂慶子、片岡孝夫)©️松竹
「職人監督」あるいは「名匠」としての野村芳太郎の最後の監督作品は、『危険な女たち』(1985年)でした。
2005(平成17)年に亡くなった野村芳太郎監督は、2019(平成31)年には生誕100年を迎えました。『空飛ぶタイヤ』や『居眠り磐音』を演出した本木克英監督は、松竹撮影所育ちということもあり、「職人監督・野村芳太郎を目指す」と公言しています。