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松竹の映画製作の歴史 Part14 〈世界で戦う日本映画/監督 小林正樹〉

世界で戦う日本映画/監督 小林正樹(前半)

カンヌ、ヴェネチア、ベルリン等、世界で戦える日本映画を作り続けた男“小林正樹”。
『人間の條件』『切腹』『怪談』『化石』『東京裁判』などの内外で高い評価を受けてきた代表作はもとより、全20作品それぞれが話題作として注目されています。
1971(昭和46)年には、チャールズ・チャップリンやオーソン・ウェルズとともにカンヌ国際映画祭25周年を記念して選ばれた、世界で最も功績のあった10人の監督の一人としてオマージュトロフィーを贈られ、国際社会においても特段の評価を受ける存在になっています。
人間の條件
『人間の條件・第一部純愛篇、第二部激怒篇』(出演・仲代達矢、新珠三千代)©️松竹
小林正樹は、1916(大正5)年に、北海道小樽市に生まれました。父と女優の田中絹代は従兄弟の関係であったことから、1935(昭和10)年、早稲田第一高等学院文科に入学した際は、上京して田園調布の田中邸の隣に転居しました。
1938(昭和13)年、早稲田大学文学部哲学科に進み、東洋美術を学びます。このとき敦煌石窟美術の真髄に触れ、美意識の形成に大きな影響を受けたことが、後の井上靖の小説『敦煌』映画化への意欲にも繫がっていきます。
1941(昭和16)年、大学卒業後に助監督として松竹大船撮影所に入所。120人ほどの受験者のうち、採用は7、8人。同期には野村芳太郎がいました。そして翌年1月の入営を控えた見習い期間が始まりました。見習い期間中、清水宏監督、大庭秀雄監督に助監督として付きました。
翌1942(昭和17)年1月に応召。3月には満州へ渡ります。終戦は宮古島で迎えましたが、米軍の労働要員として沖縄本島嘉手納捕虜収容所に移され、1946(昭和21)年11月にようやく復員。この時期の過酷な体験が、彼の徹底した戦争反対の意思を露わにした反骨の映画人生の根幹ともなっています。
松竹大船撮影所に復職後は、『不死鳥』(1947年)から『日本の悲劇』(1953年)まで14本の木下惠介作品に助監督として付き、『破れ太鼓』(1949年)では脚本も共に担当しました。『不死鳥』は、田中絹代が主演です。田中は、小林の松竹入社時に「親戚の付き合いはこれで終わりよ」と突き放し、撮影現場では、あくまで俳優と助監督という関係の態度を崩さなかったそうです。
木下惠介は小林の才能を高く買っており、助監督のまま監督デビュー作となった『息子の青春』(1952年・上映時間44分)の仕上がりを見て、彼のために『まごころ』(1953年)の脚本を手掛けました。
息子の青春
『息子の青春』(出演・北龍二、三宅邦子)©️松竹

世界で戦う日本映画/監督 小林正樹(後半)

そして小林正樹は、大船調メロドラマ路線の中で、人生における理想と現実のギャップに着目しつつ、自分の周辺だけを描くドラマ、狭い世界の哀しみ、おかしさ、滑稽さをとらえることに留まっていることに苛立ち始めていきます。青年期に戦争と遭遇し、その後の理不尽な社会の仕打ちを目の当たりにして、松竹という枠から離れた世界に踏み出していきます。その萌芽が『壁あつき部屋』(製作・1953年/公開・56年)でした。芥川賞作家安倍公房が脚色した話題作でしたが、興行は、当時の世相を鑑みた会社の判断により、先延ばしになりました。『壁あつき部屋』の公開に続いて製作した『あなた買います』(1956年)では、小野稔の同名のベストセラー小説を原作に、ストーブ・リーグと呼ばれるプロ野球界スカウトたちの狂騒をスキャンダラスに描き、球界の裏面を暴くストーリーを通して、どの世界にも共通する人間の欲望の核心を突いています。先の『壁あつき部屋』とこの作品で、小林は一気に社会派監督としての名声を得るようになりました。
あなた買います
『あなた買います』(出演・佐田啓二、岸恵子)©️松竹
その小林が次回作に選んだのは、『黒い河』(1957年)でした。新進作家富島健夫の同名小説を原作に1954年に岸惠子、久我美子、有馬稲子を中心に設立した“にんじんくらぶ”が企画し、米軍基地周辺の諸問題を浮き彫りにしていく社会派青春群像映画です。脚色は松山善三、そして撮影は『あなた買います』に続いて、小津組の厚田雄春が務めました。小林はこれまで、3人の女優を起用した作品を製作し続けてきましたが、とりわけこの作品では、有馬稲子扮する女性の悲劇にフォーカスしいて、「結果として自分自身を滅ぼす形でしか自分を救えなかった女のギリギリの心理を、迫力あるタッチで描きたい」と語っています。加えて、仲代達矢がここで小林作品に初出演し、ピカレスクな魅力をギラギラと発散。やがて彼は小林映画の“顔”として絶対に欠かせない存在となります。
黒い河
『黒い河』(出演・有馬稲子、渡辺文雄、仲代達矢)©️松竹
そして小林は、当時1,300万部を超える大ベストセラーとなった五味川純平の大河小説『人間の條件』の映画化権を、いち早く獲得しました。原作を一気に読み、小林自身の軍隊生活が主人公の梶に近く、考え方の基本として非常に親近感を覚えたとしています。 当初からこの小説を三部作として映画化することを計画。実際に『第一部・第二部』『第三部・第四部』『第五部・第六部』として製作、公開されました。合計の上映時間は9時間38分に及びました。 そして、主役の梶役には、『黒い河』(1957年)で初めて会った仲代達矢を起用しました。 1958(昭和33)年8月15日にクランクイン。何か記念になる日ということで、この日にしたそうです。想像を超えた撮影は12月31日に終わり、慌ただしい編集、ダビングの末、1959(昭和34)年1月15日に初日を迎えました。 結果として、興行的に大成功を収めました。そして、1960(昭和35)年のヴェネチア映画祭ではサン・ジョルジョ賞(銀賞)と映画批評家協会パシネッティ賞を受賞しました。 『第三部・第四部』は同じ年の秋に封切り、さらに『第五部・第六部』は、1961(昭和41)年1月に封切られました。
人間の條件
『人間の條件・第三部望郷篇、第四部戦雲篇』(出演・仲代達矢、新珠三千代、佐田啓二)©️松竹
その後、『からみ合い』(1962年)の後、自ら代表作だという映画『切腹』の撮影に入りました。小林本人の「撮り終わってそれまでにないきちっとした時代劇を撮ったという手ごたえがありました。橋本(忍)さんのホンが良かったし、宮島(義勇)さんの白黒のキャメラも最高だった。そして武満(徹)さん音楽。ぼくも含めてみんなの代表作になったと言えるのではないでしょうか」という言葉に満足感が溢れています。また主演の仲代達矢も「あなたにとって代表作は?と問われれば、まちがいなく私はこの作品を挙げる」と述べています。 この作品は1962(昭和42)年9月16日に公開され、翌年のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞しました。ちなみにパルム・ドール賞はルキノ・ヴィスコンティの『山猫』でした。
切腹
『切腹』(出演・仲代達矢、三國連太郎)©️松竹
『壁あつき部屋』『人間の條件』そして『切腹』へと、人間のエゴと欲望、悪徳を見据える社会派ドラマに挑戦し、自らの軍隊体験に重ね合わせた戦争映画をヒューマニズムの視点で締め括り、また時代劇においては、不条理な階級社会へのリアルな反骨のドラマと表現の様式美を両立させるなど、一概には捉えがたいスケールとスタンスの幅を見せました。
松竹を離れたのちも、『怪談』(カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞)、『上意討ち-拝領妻始末-』(ヴェネチア国際映画祭映画批評家協会パシネッティ賞受賞)、『化石』(ロンドン国際映画祭正式参加)、『東京裁判』(ベルリン国際映画祭批評家連盟賞受賞)などで、世界の“小林正樹”を示し続けました。 1969(昭和44)年、すでに晩年の齢にあった黒澤明、木下惠介、市川崑と共に「四騎(よんき)の会」を立ち上げ、映画多様化時代に、映画の形態を固守しようとする日本映画界の重鎮として存在感を印象付けました 井上靖原作『敦煌』の映画化に生涯の情熱を傾けるも実現かなわず、『食卓のない家』(1985年)が遺作となりました。

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