映画・アニメの世界

松竹の映画製作の歴史 Part8 〈木下惠介の世界〉

木下惠介の世界(前半)

1998(平成10)年、日本映画界の二人の巨星墜つ。木下惠介と黒澤明。
木下惠介は、1933(昭和8)年、21歳の時、松竹蒲田撮影所の現像部に入り、島津保次郎監督の撮影助手となります。1936(昭和11)年、新たに作られた松竹大船撮影所に移り、島津保次郎に引き抜かれて助監督となり、島津の『浅草の灯』や吉村公三郎の『暖流』などを担当します。しかしながら1940(昭和15)年、召集令状が届き入隊します。その後中国の各地を転戦することになりますが、翌年作業中の事故で野戦病院に入院。内地へ転送の後、召集解除となりました。
1943(昭和18)年、31歳のとき監督昇進。第1回監督作品『花咲く港』を世に出します。出演の小沢栄太郎、上原謙、水戸光子等に対する演技指導にも優れ、新進監督に贈られる山中貞雄賞を受賞するなど、才気はこの一作で早くも世の中の注目を浴びます。この年、同じく山中貞雄賞を受賞したのが、『姿三四郎』で監督デビューを果たした黒澤明でした。 以後両者は、毎年のベストテン入りを競い合うライバルとして、戦後の映画界を大いに牽引していくことになります。 女性的資質の木下映画と男性的な黒澤映画は、「柔の木下、剛の黒澤」と対立した形で語られますが、両者の仲はお互いを認め合い、1947(昭和22)年の木下作品『肖像』は、黒澤明が脚本を担当するなど、その盟友ぶりの証となっています。 木下監督はこの作品で、前年の『女』に引き続いて、毎日映画コンクール監督賞に選出されました。また前年の木下監督の戦後第1作は、『大曾根家の家』で、初めてキネマ旬報ベスト1に選ばれています。 その後、木下監督は、1951(昭和26)年、日本初の長編カラー映画となる『カルメン故郷に帰る』を製作し、NHK映画ベストテン第1位、日本映画文化賞を受賞しました。
花咲く港
『花咲く港』(出演・小沢栄太郎、上原謙)
また同じ年、『善魔』では、助監督だった松山善三の勧めで新人三國連太郎を抜擢します。当時の三國は、東銀座で松竹のプロデューサーにスカウトされ、大船撮影所の演技研究生でした。木下監督に認められた三國は、ブルーリボン賞新人賞を獲得し、その役名を芸名にしました。
善魔
『善魔』(出演・森雅之、三國連太郎)
1954(昭和29)年には『二十四の瞳』でブルーリボン賞作品賞や毎日映画コンクール日本映画大賞、海外でもゴールデングローブ賞外国語映画賞などを受賞。同年のキネマ旬報ベストテンでは同作と『女の園』が、黒澤明の『七人の侍』を抑えて、1位・2位を独占しました。
女の園
『女の園』(出演・高峰三枝子、高峰秀子)
1957(昭和32)年、『喜びも悲しみも幾年月』を発表。戦前から戦後にかけ、灯台守として過ごした男とその妻を描く年代記で、灯台は実際にあるものをロケ地として、日本全国を縦断して撮影されました。映画は、若山彰による主題歌とともに大ヒットしました。
喜びも悲しみも幾年月
『喜びも悲しみも幾年月』(出演・高峰秀子、佐田啓二)

木下惠介の世界(後半)

1958(昭和33)年、『楢山節考』を製作。ヴェネツィア国際映画祭に出品され金獅子賞の有力候補との前評判がありましたが、惜しくも逃しました。しかしこの作品は、映画監督のフランソワ・トリュフォーをして“神よ!なんという美しい映画だ!”と言わしめるなど、多くの映画人に絶賛されました。
楢山節考
『楢山節考』(出演・田中絹代、高橋貞二)
1961(昭和36)年の『永遠の人』は、米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされるなど、海外からも注目を浴びました。そして、1964(昭和39)年の『香華』は、有吉佐和子の同名小説を映画化。前・後篇合わせると上映時間が3時間を超える大作で、木下作品の中では最長になります。この翌年に黒澤明が、山本周五郎の小説『赤ひげ』を映画化し、こちらも3時間を超える長い作品になりました。
永遠の人
『永遠の人』(出演・高峰秀子、佐田啓二、仲代達矢)
そして翌年、松竹を退社し、木下プロダクションを設立して、テレビ界へポジションを移すことになります。TBS「木下惠介劇場」等で、茶の間にも木下惠介の世界を届けました。
1969年(昭和44年)、黒澤明、市川崑、小林正樹と共同プロダクション「四騎の会」を結成しました。4大巨匠揃い踏みということで注目を集めましたが、当初発表された4人共同監督による映画は結局実現しませんでした。
東宝で2本の映画を製作したのち、1979(昭和54)年松竹に戻り、『衝動殺人 息子よ』を世に出します。 この作品は、佐藤秀郎の長編ノンフィクションを映画化したもので、衝動殺人で我が子を殺された遺族の無念の想いを、木下監督が激しい怒りをもって描く社会派ドラマ。松竹作品初出演となる若山富三郎は、この年の各賞の主演男優賞を総なめし、またすでに女優引退宣言をしていた高峰秀子は、木下監督のたっての希望で一度限りの出演を果たし、最後の映画作品となりました。
衝動殺人息子よ
『衝動殺人 息子よ』(出演・若山富三郎、高峰秀子)
木下監督の遺作は1988(昭和63)年の『父』で、弟子の松山善三監督『母』と同時上映されました。「父」と「母」をテーマにした作文を公募し、二人の監督が映画化したものです。
父
『父』(出演・板東英二、太地喜和子)
木下惠介と黒澤明、この二人の巨匠の作品に出演した仲代達矢は、「映画黄金時代の両巨頭だけど個性は違う」と分析。「木下先生は真正面から人間を肯定する作品をつくりつつも、斜めから人間の業や負の部分を見つめるところがあり、黒澤監督よりも屈折した目で見ていたのかも。木下先生はニヒリズムの人。黒澤さんは堂々の正義漢」と評しました。 木下惠介は、1998(平成10)年12月30日、脳梗塞で死去しました。86歳の生涯で、メガホンをとった映画は49作品です。そして、盟友の黒澤明は、同年の9月6日、脳卒中で死去しています。

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