映画・アニメの世界

【作品データベース】二人で歩いた幾春秋 ふたりであるいたいくしゅんじゅう

作品情報

INTRODUCTION
上映時間・102分
『喜びも悲しみも幾歳月』のスタッフ&キャストで、再び夫婦の絆の美しさと強さを年代記形式で描いていくヒューマン映画。河野道工の歌集「道路工夫の歌」に木下惠介監督が感銘を受け、劇中それらの短歌を字幕付きで吟じるなどの工夫を凝らしながら『喜びも~』とは異なる意気ごみを示している。舞台の大半を山梨県に限定してのものくろ撮影といった点も、日本全国を縦断するカラー映画大作『喜びも~』とは真逆の仕様。高峰秀子と佐田啓二の役者としての更なる円熟も画面から存分に醸し出されており、とくに佐田啓二は中年男の渋味を魅力的に発散している。

STORY
昭和21年、復員した野中義男(佐田啓二)は、仕事がないままに故郷山梨で道路工夫になったが、生活はみじめだった。給料は一ヵ月2千円。両親(小川虎之助、岸輝子)、義男、妻とら江(高峰秀子)、息子利幸(山本豊三)は、丘の上の小さな借家に住んだ。翌年、誠実さを認められたとら江は土木出張所の小使に雇われ、義男一家は小使室に住むことを許された。五年後、小学三年生の利幸は成績も一番で、義男はこれからもまともに育ってくれと願う。工夫仲間の望月(野々村潔)が脳溢血で倒れた。休みの日、義男は不自由な望月をリヤカーにのせて平塩之岡へ花見に出かけたが、ゆくりなくも初恋の千代(久我美子)と逢った。彼女は義男の出征中、静岡の豪農のもとへ嫁いたが、良人は戦死して今は未亡人である。「片想いじゃ花も咲かない」と、義男は笑いにまぎらして望月にいった。やがて最優秀の成績で中学を卒えた利幸は甲府高等学校へ。幾歳月の苦しみも忘れて、義男ととら江は喜び合った。昭和32年、利幸は京都大学に入った。学資の仕送りで義男は好きな酒を半分に減らし、とら江は食べものを節約した。その年も明けて、利幸から意外な手紙がきた。「実は去年、大学の受験に失敗したが、それをいうと叱られると思い、アルバイトしながら勉強した。今年は試験に合格したから安心して下さい」というのだ。三年に進学した利幸は、仕送りに悩む両親に迷惑をかけまいと、アルバイトをつづけるが、学資が足りず、とかく沈みがちだ。好意をよせる石川美代子(倍賞千恵子)はそんな利幸を慰めた。そのころ、とら江が京都へやってきた。利幸は遂に学業を諦めてとら江と山梨へ帰った。義男は利幸を殴りながら「親の気持が判らないのか」と泣き、利幸もとら江も泣いた。昭和37年、新しく学士として京都大学を巣立つ卒業生の中に、利幸の明るい顔があった。大講堂に列席した義男ととら江のふしくれ立った掌に涙が落ちた。

キャスト・スタッフ

- キャスト -
高峰秀子
佐田啓二
倍賞千恵子
山本豊三
久我美子
- スタッフ -
原作:河野道工
監督:木下惠介
脚色:木下惠介
撮影:楠田浩之
音楽:木下忠司

配給:松竹
©1962松竹株式会社

ジャンル:現代劇